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33.韓国の印象 ~アメリカから見た日本~

2016年 第2号  - 三鬼 康 -


  •  久しぶりにソウルに行く機会がありました。

  •  言語の壁はありますが欧米の街を行くのとは違って、人々の目は優しく、肌の色も同じで文化や価値観も似通っていますから親しみが先行します。
  •  ハングル文字にも興味を持つようになりました。あの記号を音に変えると何のことか見当が付く、ということは朝鮮語、漢語や日本語もヨーロッパ言語と同じように混ざり合って来た証拠だと思います。
  •  空港ではうるさい客引きを避け、外人用の予約タクシーで旧市中心部インサドン(仁寺洞)のホテルに直行しました。窓から見た十年ぶりのソウルは「威風堂々」、車線は広く真新しい高速道路、ハンガン(漢江)を渡る豪華な橋梁、遠く立ち並ぶ高層ビル群、整った中心街の様子などが近年の成功と繁栄を誇示するかのようです。


インサドン界隈

  •  夕方六時頃、橋を渡って市街に近づくと交通渋滞と騒音のお出迎えで、まるで表舞台から楽屋裏に連れて行かれる感じでした。車内軟禁状態の約半時間、旅の疲れが襲ってきて体が座席に沈み込みます。
  •  でも、街の様子だけは目を開けて見つめていました。
  •  高層ビルの隙間から見える路地裏の賑わい、地下鉄駅辺り家路を急ぐ女性社員、そしてビルの隙間に吸い込まれていく男たちのグループを見て、高度成長時代の東京生活を思い出しました。
  •  残業が少なくなれば「ノミュニケーション」で時間を奪われ、酒席はアルコールがだめな私にとって性に合わなかったことなど、嫌な思い出が車窓の光景と重なって鮮明に戻って来てしまいます。
  •  そうだ!旅の特典、本場のモツ鍋、焼肉、ビビンバを食べに行こう!と想いを切り替えました。でも、本来の目的が学生達の海外研修ですから、旧市街の楽しみはお預けです。
  •  日中の殆どの時間をハンガンを渡った、川向こうのガンナム(江南)地区で過ごす運命にありました。
  •  さて、ガンナムから話を進めます。
  •  この地域は新空港があるインチョン(仁川)に隣接し、1988年のソウルオリンピックを境に急激に開発された特別区で、今では高所得層が生活する地域にまで発展しています。

  •  威風堂々ビル街は他の都市と区別できないほど没個性的ですが、中身は違いました。
  •  若者が多く活気に満ち、クールでファッショナブル、という形容がふさわしい流行の中心地の様相です。美容整形や男性化粧を大胆に普及させファッション界に繋げ、アメリカ通信メディア・ユーチューブなどに乗せて世界中の耳目を集めました。アメリカでもガンナムスタイルなどと言う言葉を時々耳にするほどです。
  •  スマホの用途の広がりも目を惹きました。ハードウェアーとソフトウェアーの工夫が上手く噛み合っている様子です。
  •  例えば若い勤め人が地下鉄駅で目当ての商品のQRコードをスマホカメラで写して、店に到着する前に注文を済ませておくのです。更に、ワイファイ(WiFi)・インターネット接続は早く、何処でも無料で外国人旅行者にも気配りしています。
  •  街から会社の中にも足を踏み入れました。
  •  奇抜なデザインで目を惹くKIA自動車の本社、スマホ・ショッピングで注目されたスーパーのホーム・プラス、それに食品流通の総合会社CJグループの物流センターと順に生産から流通、消費の現場を見て回る企画です。
  •  各社の宣伝と一緒に行き届いたもてなしを受けましたが、戦略や技術面で特に目新しいものはありません。
  •  印象に残ったことといえば、急成長国らしく従業員の勝ち組、負け組みの色分けが目立っていた点です。
  •  話題のトマ・ピケティーが言うように、国際化が貧富差を拡大させる原因だと決め付けている様子で、通訳ガイドも機会を見つけては私に苦情を言いたげでした。
  •  周知のとおり、韓国ではチェボル(財閥)が柱になって、国ぐるみで国際競争に立ち向かっています。私達の相手をしてくれた面々は勝ち組で、チェボルの幹部男性ですから風貌は立派、英語もちゃんとこなします。対照的に売り場や作業現場にいる同年代の若い作業員に表情はなく、決められた時間を機械的に過ごすだけ、と暗い感じでした。
  •  国の隔てなく若い連中といつも一緒の私には、この差が刺激的で考え込んでしまいます。
  •  幼い頃の素質が家庭教育、訓練、受験、学歴に職歴などを経て成熟し、やがてどこかに落ち着いていくこと自体はどの国でも同じです。しかし韓国の男子には19歳になると約2年間、世界中で最も長く且つ厳格といわれる兵役義務があり、これが個人の生涯と社会に重大な影響を与えます。
  •  私は特に兵役免除の例外規定に注目しました。
  •  例外の大義名分は国家への貢献度、著名なスポーツ選手や芸能人、役所や財閥の幹部候補生と認められれば免除されます。加えて、アメリカなど先進国の永住権を取得した人まで免除対象になるのですから、裕福な家庭なら早くから子供の海外留学や移住を考えると思います。
  •  国内では、一般的に軍の規律がビジネスを支配していると言われます。それに親や上司への服従、と言った儒教的家族集団意識が根底に色濃く残っています。夜になって上司から飲食に誘われれば断ることは出来ず、また上司が退社するまで部下は退社しないのは当然のこと、と言った具合で、しかも巷では、
  • 「日本が自らのDNA(遺伝子)を無視して、欧米化を許したから没落の道を辿る運命にあるのだ」
  • と言われているそうで、未だに時代遅れで粗悪な洗脳プロパガンダに酔っている様子です。
  •  国際競争で強さを発揮したこの体制が同じ国際化で別の影響を受けています。
  •  例えば、今の若者は職場環境が悪ければ躊躇せずさっさと転職してしまうということ、また、ソウル国立大とか延世大など国内一流大学のOBネットワークに守られて来た官僚やチェボル(財閥)幹部のポストに海外学歴派が食い込むようになり、国内一流派が防戦に懸命だということなどです。
  •  当然、企業の海外売り上げが国内収入を上回るようになれば海外市場に重点が移り、また外人投資家が興味を持ち外人株主が増えます。そうなれば言語や文化の壁を超えた説明力を持つ者が大切な人材、と言うことになるでしょう。
  •  ちなみに、国内一流派の実力を示唆する一幕がありましたので。紹介しておきます。
  •  日程の最後に、韓国のエリートが集まる「KAIST(韓国科学技術院)」を訪問し、そこの博士課程の学生との間で事例研究の意見交換会を持った時のことです。


KAIST(韓国科学技術院)

  •  韓国企業へ就職したアメリカ人青年の体験がテーマで、事例は前もって双方学生に配布し読ませた上でのことです。
  •  予想していたとおり、当方の学生が次々に挙手して質問を投げ掛けました。
  •  例えば、韓国では外国人にどんな就職機会があるか、就業環境と社会規律、昇進など事例の中身の確認と生の声を聞く目的のものでした。残念なことに、博士課程諸氏からまともな答えが返ってこないのです。例によって集団追随を決め込み、教授の顔色を伺っているようでした。
  •  いらだった一人が
  • 「もし僕がゲイだと知ったらあなたはどんな態度をとりますか」
  • との質問に爆笑が起こっただけ、個人主義的で自由な私の学生の方に集団主義的で慎重な韓国人学生が歩み寄る気配は一向になく、座は白けました。
  •  ホスト側代表の中国系カナダ人女性教授が朝鮮民族の深層心理、「ハン(恨)」と「ジュン(情)」について私論を披露し、その場を取り繕う始末です。
  •  さて、行事を無事終了して、残された旅の特典に直行です。
  •  ミョンドン、インサドンなど夜店の賑わいに混ざって旧市街を歩き回った末、夜もふけたので、ホテル近くの小料理屋の引き戸を開けて入ることにしました。
  •  もう客足が去ってガランとした店で「さて何を食べようか?」と英語、日本語、中国語混ぜこぜで相談していると、老亭主自らが日本語で話し掛けてきました。
  •  日本人と中国人の珍しい夫婦と知って昔話を聞かせたかったようでしたが、何よりもこの老亭主が鍋物に添えて差し入れしてくれた牡蠣のチジミとタニシの煮付けは絶品でした。




  •  1931年生まれの84歳、小さい頃家族と一緒に18年間ハルピンで生活、日常は朝鮮語のほかに日本語、中国語、ロシア語を使っていたとのことです。日本が朝鮮半島統治を始めたのが1910年、そして満州を併合したのが1932年ですから、その頃に生まれ、1950年に朝鮮戦争で兵隊にとられるまでハルピンに居たことになります。
  •  1964年から約10年間は、アメリカへの恩返し戦争とも言われるべトナム戦争で韓国軍に従軍したそうですから10代、20代、30代と動乱と戦争の半生を過ごし、おそらく生々しい人間の生き様の中で成長し、自分を磨いてきたたためでしょうか、この老亭主曰く、最近の競争中心の社会はよく分からない、だから戦場が一番自分の性に合っていると言うのです。

 

  •  ところで、韓国科学院の女性教授の講義は、朝鮮民族の人間関係は「ハン(恨)」と「ジュン(情)」の相互関係で成立している、従って理屈ではなく感性が軸だというものでした。
  •  家族や民族社会のハンとジュンが永い歴史を通して固く結ばれている。
  •  南北を分断したイデオロギーなどは、民族にとって苦手な筈だということです。
  •  言い換えれば、直面する現実の中で最適解を探して生きる人々だと示唆に富んだものでした。
  • 「どうだ、うまいだろう」
  • と、まるで戦場で部下に美味いものを先に食べさせることが何よりの喜びだ、という風に僕らを見つめていたこの老亭主、日本人の私にも「ジュン(情)」で接してくれ、旅全体の余韻を一層大きくしました。

  •  機会があったら話の続きを聞きに来ようと思ってこの小料理屋の引き戸も写真に残すことにしました。

(2016年7月27日)


 

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