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29.私の交遊録其の2(1/6)

  • 愛すべき愉快な我悪友諸氏

  • 第一話「番ちゃんの夢」

 2016年第2号  - 猩猩 梅原 陽介 -


  •  我人生の心の支えに成ってくれた、おかしくも個性豊かな面々・・・。
  •  平成28年2月21日、筆者は、72歳を迎えます。平均寿命からすれば、残す処6年、次の申年には、遠き旅立ち完了と云う事に成ります。
  •  辞世の句は、少しばかり早すぎますが、友への感謝の意を込めて・・・。
  • 我を通し、意を以ってした幾星霜、
  •            ご恩を受けし友思幾人、
  •                 花は花なれ、人は人なれ
  • 平成28年2月某日猩々詠

 

  •  人は、誰でも一生のうちに、たとえ一時であったとしても、何人かの友を持つものであります。筆者にも一方ならぬお世話になった友があります。
  •  友と云うものは、親友と悪友があります。親友はもちろんのことでありますが、悪友と云うのもまさに人生の肥やしの如く意味深いものであります。
  •  筆者はこんな悪友をこよなく愛しています。
  •  そんな愛すべき悪友の面々を、故郷へ帰ってから出会った順に、紹介したいと思います。

「番ちゃんの夢」

  •  最右翼は、番ちゃん(72才)でしょう。ハナ肇似で戦国武将なら徳川家康。
  •  彼は私の同級生です。

 

 
ハナ肇(左)と 徳川家康(右)

 
  

  •  『大番』(獅子文六著作・昭和31年~33年まで週刊朝日連載。その後、加藤大介主演で映画化、彼の代表作。更にその後、フジテレビでドラマ化、渥美清の出世作となる)のギュウちゃんの様な彼です。

 

  •  後々になって遠縁の姻戚関係になりますが、田舎ではよくあることです。婚姻関係の成立経緯が、どこどこの叔母さんが、或いは叔父さんが、持ってきた話、縁談である場合が多いんですよね。従って、良くも悪くも近かったり遠かったりの親戚になってくる訳です。
  •  結果、悪友であるべき、我愛する悪友が悪友で無くなってしまうと云う残念な結果となってしまうのであります。

 

  •  昭和43年のある日でありました、久しぶりに帰郷した筆者。
  •  本道からだらだらとした地道の小さな坂を下ったところが我が家の玄関口であります。

 
 

 
 
 

  •  屋敷の周りには畑と田んぼと竹藪と半周りの小川が迂回しています。
  •  築三百数十年を越えた旧家と云うより古いだけがとり得の家、覆いかぶさる茅草の大屋根の所々に瓦葺きの下屋が出て、軒下を広くしています。そこには幅広の濡れ縁が設えてあり、東側の庭に向かっているので、日当たりも良く眺めも良し、日向ぼっこと長話には、もってこいの場所、云ってみれば我が家の一等席と云ったところであります。

 

  •  こんな旧家の、広い庭も、隠れ家の様な離れ家も、懐かしいだらだら坂も、結局のところ、世も中によくある相続にまつわる兄弟姉妹喧嘩の種と成り、筆者は、長男でありながら、父親の葬儀の喪主にもなれず、姻戚関係の外堀を埋められ、親族とは、没交渉の憂き目に会い、家を出ざるを得なくなり、裁判沙汰(共産系弁護士の介入で調停に持ち込まれ)の結果、母方に養子に行った実弟の所有物と成ってしまいました。
  •  他家に嫁(養子)した筈の、強か(したたか)成る姉の、妹の、弟の思い叶った。と云ったところでしょう。その強か成る姉の縁戚が番ちゃんなのであります。
  •  今と成っては、栓無いことでありますが、筆者としては、誠に恥ずかしき次第であります・・・・・。

 

  •  しかし今にして思えば、優しさが仇に成り、気の良さで見くびられ、難事も何とかしてきたのが、すんなりいったと思われ、良いとこ取りをされてしまった・・・これが、身から出た錆と云うものなのでしょうね。脇が甘かったのでしょうね。今と成っては、反省しきりであります。
  •  先人曰く、何事にも

「過ぎたるは及ばざるがごとし」

  • とは、良く言ったものですね。

 

  •  前置きが長くなってしまいましたが、その我が家の一等席の広縁に二人が腰かけて笑顔で何やら話していました。
  • 「おっ、陽ちゃん、久しぶりやのぉ、元気かぁ」
  • 「やぁ、番ちゃん元気か、久しぶりやなぁ、こんなとこで暇そうに何してんにゃ」
  • 「暇ちゅうことはないけどのぉ、親父さんと話とんや、それより飲みにいこかいや」
  • 「そやなぁ」
  • 「よしゃ、ほんな岩ちゃんとこいこか」
  • こんな会話が成されて出掛けて行ったのが、「みつわ寿司」と云うすし屋でありました。
  •  このすし屋の大将のお爺さんと云うのが、べた(牛)引き(牛車を引いて荷物を運ぶ仕事)をしていて筆者の祖祖父市太郎の商っていた米屋「米市」で常用のべた引きをしていたと云うことでした。
  •  市太郎というのは、元は綾部藩の武士でありましたが、侍の時代はそう永くは続かないと侍を辞め、米屋に成ったと云う御仁であります。髯は無く、入道頭であったそうです。
  •  こと左様にどこかで繋がっているのが、田舎であります。

 

ああ狭きかな狭きかな・・・。

 

  •  彼とは、同級生とは云うものの小さい時からの仲良しではありませんでした。姉が結婚してから前述の関係で同縁となり、気が合って繁く話す様になったと云う関係であります。
  •  彼が言うには、

 

  • 「陽ちゃん、帰ってこいや、親父さんだいぶ困ってるで、金も無いし、仕事も難しいようやで、親父さんは、商売は下手や、すごい人物なんやけどなぁ」

 

  •  因みに、筆者の父親と云うのは、地元の商業高等学校を卒業後繊維業の大手G社に就職し、成績優秀に付き、社費にて上田蚕糸高等専門学校(信州大学)に留学、エリートとして業務に励む中、労働組合を組織し、蚕糸労連の代表として国会にも陳情を行った。と云う先進的な感覚を持っていました。
  •  本社工場勤務の際に、上司の不注意から起きた火災の責任を問われた上司に泣き付かれ、申し出て、自ら退職し、その年に施行された第一期市会議員選挙に出馬、若輩ながら七位の上位当選を果たした。その後、自由民主党の重鎮前尾繁三郎に師事、その傍ら、精密機器(カメラ)の会社を興しました。
  •  その時の取締役は、前尾繁三郎(後の自民党幹事長)、林田由紀夫(後の京都府知事)、長岡誠(初代綾部市長)、由良金一(郡是製糸重役、後の日東精工社長)、西山竹治(後の日東精工社長)などなどの名士が顔を揃えていました。
  •  その後、実弟(後の日東精工常務・日東公進製作所社長)が参加する企業の窮地救済のため自社を提供し、自分は、独自に縫製会社を発足させました・・・の様な人でした。

 

  • 「そうか、そうやなぁ、文化人やし、先進的やし、町工場の社長でおる人では無いなぁ・・・・・」

 

  • 「帰ってこいや、わしも嬉しいし、親父さん喜ぶでぇ、わしも親父と仲が悪いんじゃぁ」

 

  •  番ちゃんも、地元の建設会社で型枠大工をしていた父親と土建業を始めたものの、意見が合わず、悩んでいた様であります。
  •  そんな会話をする中で、帰るのも有りかな、とも思った筆者でありました。

 

  •  私もその頃、結婚を考えていました。しかし幾つか問題解決をしなければならない状況にありました。
  •  当時、私は、衆議院議員の私設秘書をやっていました。
  •  秘書だけではなかなか生活するまでは行かず・・・と云う事で、西協生コンクリートと云う住友系の生コン会社に骨材を納める会社に勤務し、云ってみれば二足の草鞋を履いていたのでありました。

 

  •  何れ政治家にと云う、思いを持っていたのでありますが、結婚相手はと云うと、大の政治嫌い、大阪商人の娘であります。
  •  彼女の出した結婚の条件が、絶対に政治家の道には行かない事でした。
  •  考えに考えた結果が帰綾して家業を継げば、父が助かり、母が安堵し、結婚も出来る。
  •  そんなこんなで帰綾を決心したのであります。 

 

  •  昭和44年12月27日に退職帰綾し、翌45年1月7日から出勤、同年3月29日に結婚、半年後には、家業であるビニール加工業&縫製業を、全面継承したのでありました。

 

  •  しかしここで思わぬ事態に直面しました。

 

  •  借入金が1800万、社会保険の未払いが120万円、その他一般の未払い金が50万円程度、そして社員が高齢の寄せ集め的、最も不都合なのが、女番頭に父親の第二夫人的な存在が有ったと云うことでありました。
  •  そんなこんなを、件の番ちゃんに相談しながら一つ一つ解決を図ったのであります。

 

  • が、問題山積、不況続きの繊維業界とはいいながら、一番問題になったのは、やはり不測の女番頭の存在でありました。
  •  彼女の存在で退職して行った従業員は、三十年で延べ50人を超えていました。

 

  •  そんな中で、番ちゃんは、時を見ては、私を誘い、足繁く飲食に誘ってくれたものでありました。そんな時に「なんとか頑張らんとしゃないや」と私を慰め、元気づけてくれました。

 

  •  そんな時、件の父親は、筆者に難題山積の会社を譲った後、地元の石油販売会社の常務、学校法人の事務局長などを歴任し、自らの「昔取った杵塚」を使って、自らの織物「瀬美庵織」を開発、日本伝統工芸賞を始め幾多の賞を頂き、個展も開き、テレビにも何度となく出演し、御年93歳で没するまでこの道に励みました。

 

  •  話は、番ちゃんに戻ります。
  •  そんな彼にはこんな逸話が幾つかあります。ご紹介しましよう。

 

  •  彼が高校3年生の時の事です。そろそろ就職の事を考える時、たまたま雑誌で目に入った東宝映画のニューフェース募集に応募、一次選考合格、第2選考の会場は中之島公会堂(大阪)。
  •  ところが、大阪なんてのは修学旅行で云ったきり、何処に中の島があるのやら、とうとう時間に間に合わず、地下鉄を上がったところ、なんば花月の看板が・・・・。
  •  せっかく大阪まで出てきたんやから、漫才見て帰ろと・・漫才を見て・・なるほどほんまもんはおもろいはと・・・帰って行ったと云うことでありました。

 

  •  映画スターを諦めた彼は、JR(旧国鉄)へ入社しました。

 

  •  研修を受けた後、かれは、駅勤務を命ぜられ、山陰線の山家駅に勤務していたのですが、旧国鉄には彼に魅力を感じさせるものは何も無かったのでしょう。
  •  それでもたった一つあったのが労働組合、しかも革新系、事あるごとに旗を振っていたら、上司から目を付けられ居心地の悪いこと。
  •  そんな時、親父が入院、胆石か、尿道結石だったと思います。でも重症だったように記憶しています。

 

  •  これ幸いに、旧国鉄を退職、家業を手伝う事になったのであります。が、これがなかなか・・・。
  •  おやじさんは、土木の型枠大工が仕事、頑固者で、世間が狭く業界の先読みが出来なかった。
  •  例えば、これからは、スコップとつるはしじゃない。何十人もの仕事を一時にしてくれる重機の導入だ、と云っても、何百万もする重機を用途別に何台も買い入れる、理屈を理解することが出来なかったんだと思います。
  •  また事業展開をする為の借入金も、訳の分からない事なのでありました。
  •  地道にやれば何とか食える時代ありましたから、これは無理も無い事だと思います。
  •  事あるごとに衝突していたようであります。
  •  そんな時のことでありました。
  •  番ちゃん、その日は、隣町で飲んでおりました。したたか飲んでの帰りがけ、大橋のたもとで、単車と接触を起こしていたのですが、気がつかず、そのまま行ってしまったところ、パトカーに緊急逮捕され、本署に連行されたのであります。
  •  その日は冬場の寒い夜、警察官も気を使ってくれて、ストーブのそばで取り調べをしてくれたのですがそれが逆効果、ポカポカして酒が良く回り、ついつい床に(当時は板張り油拭き床が多かったのです)つばを吐いてしまったのです。

 

  • ところが、それをたしなめた警官に、逆切れしたのであります。

 

  • 「なんじゃ税金泥棒が、何を偉そうに言うとんじゃ。みんなぁここへ並べやぁ、おい、お前もじゃ」

 

  • と暴言を吐いたのであります。
  •  たまたまその中に見知った警察官いたものですから、相手は酔っぱらい、ほんな並んでやろかと云う事になって、冗談半分で並んだところ、番ちゃん段取りそろたと、総勢七人ひとまとめでパンパンパン、往復ビンタを食らわせてしまったのです。
  •  さあ大変、即、公務執行妨害現行犯で逮捕、そのまま拘留。
  •  翌朝、警官が出向き家人に伝えたところ、さすがに母親は、びっくりして何とかならないものかと、出向いた警官に懇願したそうです。
  •  警官は、保釈金の話をしたそうですが、父親は、そんなものはよう出さん、「あいつにはええ薬や、いっぺん入れてもらえ」と一蹴したのであります。と云う事で、間もなく判決が出て善からぬ結果になってしまったのであります。

 

  •  何とも豪快と云うのか、非情と云うか、それも父親の愛情と言うものなのでしょうか。

 

  •  それでも番ちゃんは、頑張りました。

 

  •  最初は、相部屋に入れられました。
  •  早速、新人研修と云う名のしごきです。
  •  相撲大会と称して新人相手にみんなで相撲を取るのです。ところが、もともと相撲好きの番ちゃんは、勝つわ勝つわ、優勝してしまったのです。
  • かくして番ちゃんは、初日にして番頭格になってしまったのです。
  •  以来、結構面白い別荘生活をおくったのであります。

 

  •  おまけにこんな話も有ります。

 

  •  お風呂に入った時の話であります。時笛と同時に服を脱ぎ、時笛と同時に湯船の前に整列し、「入れ」の声に合わせて入浴、出浴、「洗え」の声で、身体を洗い「入れ」の声で・・・・・と云った調子で入浴終了。こんな時の出来事でした。
  •  身体を洗っている時の事、前の御仁の背中に蜘蛛の入れ墨、番ちゃん思わず

 

  • 「おい、お前背中に蜘蛛の巣が張っとるぞ、洗ったろかぁ」

 

  • と、声をかけたそうです。
  •  さあ大変、取っ組み合いになってしまいました。
  •  罰則で一人部屋送り。一人部屋とは、二畳ほどの部屋に、トイレ、布団、窓は遥か天井近くに小さくあるだけ、この部屋で反省を促されるのであります。
  •  それでもこの御仁とも仲良くなり、他の入所者ともうまく付き合い、模範生?となり、豚の係りに成ったそうであります。
  •  これも番ちゃんの人柄なんでしょうね。
  •  人柄の話なら・・・出所の時に、顔見知りについつい

 

  • 「お前も出て来て困ったら、わしを訪ねて来いや、何とかしてやるで」

 

  • と、いったものである・・・。
  •  番ちゃんが出所してから半年以上が経った頃、仕事の現場に事務所から電話があり、ちょっと帰って来て、変な人が来てるで、番ちゃん、何事かと帰って見ると、見た事のある顔が・・・一言を真に受けた件の御仁が・・・困ったなぁ、かといって・・・。
  •  仕方がないので、事情を話し、二日間泊めてやって小遣いを持たせてお引き取り願ったそうであります。
  •  これも、身から出た錆と云うよりも、番ちゃんの人柄なんでしょうね。

 

  •  以降、番ちゃんとにかく頑張りました。
  •  今日までに、本業の土建業はもとより、カラオケホール、焼肉屋、うどんや、コインランドリー、熱帯魚店、料理屋などなど、不動産も二万坪越え、お金は勿論・・・。
  •  押しも押されもしない同級生の稼ぎ頭と成りました。
  •  家も、茅葺の小さな民家を、番ちゃん御殿とまで言われるほどの総ヒノキの本建築を建てました。

 

  • 「陽ちゃん、この家はのう、おふくろの為に建ててやったんじゃぁ」

 

  • 「ここは、おふくろ専用の出入り口なんじゃぁ」

 

  • 嬉しそうに目を細めて云っていたのを思い出します。

 

  •  こんなことも云ってくれました。
  •  二人で車に乗って出かけた時のことであります。

 

  • 「陽ちゃん、今度、ここに家を建てるんじゃ、離れも建てるでのぅ、どうしてもうまいこといかんようになったら、みんなでここへ越してこいや」

 

  • と云ってもらった事も有りました。

 

  • こんなこともありました。

 

  • 「陽ちゃん、車買打たんじゃぁ、見に来いや」

 

  •  行ってみると、なんとガレージには、トヨタセリカのガルウイングドアー(ドアーが上に上って開く)とセンチュリーです。 二台併せりゃ、立派な土地付き一軒家が建ちます。
  •  なんとなんと、立派なものであります。

 

  • 「陽ちゃん、これで今度、温泉でも行こうや、嫁はんも一緒に」

 

  • ということで、その年に秋には、センチュリーに乗って、琴引き浜の部屋付き温泉の温泉旅館に行き、二夫婦水入らずの一夜を楽しませてもらいました。

 

  • 頑張られ番ちゃん。

 

  •  不景気時の番ちゃんの経営学・・・
  •  業界が不景気になるのは、仕事が少なくなったか、同業者が必要以上に多いかのどちらかである。従って、仕事量が業者量に適正になるまで待てばよい。
  •  極端に云えば、仕事がなければ同業者が、廃業か、倒産するまで待てばよい。
  •  その為には、儲かる時にしっかり儲けて、免許看板を上げてじーっと待つ。
  • 「この世から土建業は無くならんでのぉ」極意はこれや。
  •  というわけであります。

 

  •  ごもっともごもっとも。理に叶ったお話であります。

 

  •  その結果、金儲けにかけては、右に出るものが居ないほどの商売のうまさを評価されるまでになり、建設業界の会長にまで上り詰めたのであります。

 

  •  こんなことも有りました。
  •  筆者が結婚した年に、番ちゃんも結婚する事に成りました。
  •  筆者の結婚式に出て

 

  • 「よいもんやのぉ、わしも結婚せないかんのぉ」

 

  •  これが、番ちゃんの感想でした。
  •  そんなある日でした。

 

  • 「陽ちゃん、会わせたい人があるんじゃぁ、六時に、さくらいで待っとってくれへんかぁ」

 

  • と電話がありました。
  •  さくらいというのは、番ちゃんが良く連れて行ってくれた、お好み焼き屋さんです。
  •  そこで会わせてくれたのが奥さんでした。
  •  地元の金融機関に勤める、音無美紀子風の可愛い女性でした。
  •  結婚式にも友人代表で招待をしてくれました。

 

  •  新婚旅行に出発です。
  •  「陽ちゃん陽ちゃん、ちょっとちょっと」番ちゃんが筆者をドアの陰から呼びます。
  •  「何だ」と行ってみると、ネクタイを結んでくれと云うことでした。
  •  旧国鉄時代に結んだ筈なのに、どうにも結べないと云うのです。
  •  「分かった」と、結んで見るのですが、それがうまくいきません。
  •  毎日結んであるものでも、自分と人では随分勝手の違うものであります。
  •  二人でゲラゲラ笑いながら何とか結べ、早々に新婚旅行に出発していったのを憶えています。

 

  •  そんな懐かしい思い出も、今にして・・・。

 

  •  残念ながら、今は、番ちゃんとは、年賀の付き合い、前述の、近くて遠い親戚関係からの誤解が悲劇を生んでしまったのであります。
  •  正直、寂しき限りであります。

 

  •  この期に及んでは「鳴くまで待とう」「待てば海路の日和あり」の心境であります。

 
 


「仲良きことは、美しき哉」
武者小路実篤

 
 

  • 彼との出会いが無かったら、私は故郷に帰ることは無かったでしょう。

 
 

平成28年2月 猩々記

 

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