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32.私の交遊録其の2(4/6)

  • 愛すべき愉快な我悪友諸氏

  • 第四話「哲ちゃん雲に乗る」

 2016年第5号  - 猩猩 梅原 陽介 -


  •  我人生の心の支えに成ってくれたおかしくも個性豊かな面々・・・
  •  平成28年2月21日、筆者は、72歳を迎えます。平均寿命からすれば、残す処6年、次の申年には、遠き旅立ち完了と云う事に成ります。
  •  辞世の句は、少しばかり早すぎますが、友への感謝の意を込めて・・・。
  • 我を通し、意を以ってした幾星霜、
  •            ご恩を受けし友思幾人、
  •                 花は花なれ、人は人なれ
  • 平成28年2月某日猩々詠

 

  •  人は、誰でも一生のうちに、たとえ一時であったとしても、何人かの友を持つものであります。筆者にも一方ならぬお世話になった友があります。
  •  友と云うものは、親友と悪友があります。親友はもちろんのことでありますが、悪友と云うのもまさに人生の肥やしの如く意味深いものであります。
  •  筆者はこんな悪友をこよなく愛しています。
  •  そんな愛すべき悪友の面々を、故郷へ帰ってから出会った順に、紹介したいと思います。

「哲ちゃん雲に乗る」

  • そして、哲ちゃん(66才)歌の上手な小堺一樹、憂国の偉人でいうなら西郷隆盛。

 

  
(左)小堺一樹    (右)西郷隆盛

  

  •  彼との出会いは、市長選挙でありました。
  •  昭和・・年・・月でした。候補者の後援会を設立する準備会の席上でありました。
  •  鉄ちゃんは、当時民社党と云う政治政党に所属する鉄道労働組合(鉄労)の国鉄職員でありました。
  •  いかにも労働組合然とした態度で相対していました。
  •  その時の哲ちゃんの弁を借りて云うと、いえ、筆者の事をです。
  •  こんな人は見た事がない、席に着くなり機関銃の様に発言し、回りを圧倒してしまう。話の中身はと云うと、正に理路整然とし、ついつい引き込まれてしまい、青年部の部長はこの人で決まりと思った矢先に、
  • 「それでは失礼します。本日私は、大切な人のお通夜を控えていますので」
  • と云うなり、席を発ち一礼をすると、早々に、引き上げてしまったのであります。一同あぜんとしたと云うことであります。
  •  その日は、筆者の恩人(日東精工社長で小拙の親代わりの恩方)のお通夜であったものですから、自論をしゃべるだけしゃべってというよりまくしたてて、早々に退席いたしました。が講演会内に青年部が組織され、哲ちゃんが部長に就任いたしました。筆者が複数員の一人の副部長と云う事になりました。
  •  筆者には、ある作戦がありました。
  •  と云うのは、私が部長に成ると、組織票が出てきません。
  •  しかし哲ちゃんが成ると少なくても一千票以上(家族票も含めて)の組織票が集約できます。
  •  つまり筆者の票は、一寸した事で、相手票にもなりかねませんが、組織の票と云うのは、数が少なくとも、確実なのであります。哲ちゃんを代表にする事によって、動員も、集票もスムースに行くと云うことであります。
  •  特に筆者の場合は、ファン的賛同者も有りますが、反論者も同じくらい、それ以上に居るのでありますから、始末が悪いのであります。
  •  哲ちゃんが得意の組合的運営、筆者がアウトロー的運営、うまく行く筈がないところが、さにあらん、双方意見交換した結果、効果的に機能し、会内最強の組織に成りました。
  •  その結果、大勝利にて、長期化していた共産市政に新風が吹きこまれ、良識ある市制が布かれたのであります。
  •  これは、哲ちゃんの貢献が大きかったと思っています。
  •  その結果も受けて、哲ちゃんは、翌年の市会議員選挙に立候補し、高得票で上位当選を果たしたのであります。その時、てつちゃん36歳、筆者が41歳でありました。
  •  以来、てつちゃんとの関係は、親密に成り、何かに付け話し合ったり相談したりして来たのであります。
  •  そんなこんなで、筆者が、40年近く続けているボランティアの方にも、参加してもらって、今も、大きな一翼を担ってもらっています。
  •  哲ちゃんは、子供の頃から先進的であったようであります。高校生の頃にはダンスホールでギターを弾き、成人バンドの一員であったと云う事です。
  •  高校を卒業して、旧国鉄に入社、民主党系の労働組合鉄労に加盟、25歳で全国委員となり国鉄労働組合内では、成長株のトップグループでありました。
  •  国鉄民営化に伴い率先して退職し、前述の通り、36歳で市会議員に当選、「組合の星」から「地方行政の星」となりました。その後も地方行政発展の為に寄与したことは数えれば枚挙がありません。
  •  人柄温厚、律儀である、小さい事にはくよくよしない、きめ細かく人の世話をする、行動力がある、実践力がある、等々評価点は多いのですが、如何せん筆者同様凡人であります。
  •  故に、人の良さから口約束を気軽してしまう。財政には強いが会計に弱い、酒の席でついつい気易くしてしまう等々、人の良さ(善意)が誤解を招きやすいタイプの人間なのであります。・・・・。
  •  そんな哲ちゃんが、自身の政治生命を大きく変えたのは、政治の流れを読むのがあまり得意ではない、読みがついつい甘くなってしまう事であります。
  •  保守の流れが何時まで続き、革新の流れが何時来て、何時まで続くのか、これは政治家にとって非常に大切な感覚、嗅覚とも云うべき時代を読むセンスなのであります。
  •  大衆の気持の流れと云うより、底流にある深層心理の読み、なのであります。
  •  例えば、安保法の改正問題をとってみますと、戦争をしたいと思っている人は、ほんの僅かな人達です。
  •  その僅かとは、戦争ビジネス関与者か戦争賛美者などの、言ってみれば、異常者であります。大多数の人が、戦争はしてはならないと思っているのであります。
  •  かといって、大衆心理は、安保法改正反対にはつながらないのであります。
  •  つまり改正が、戦争法案には、つながらないのであります。
  •  大衆の深層には、中国、北朝鮮、韓国、ロシアの脅威に対して、日本の姿勢と実力を明確にする必要があると云うのであります。
  •  その手法が、法律であり、兵力であり、国民意識なのであります。
  • 「あなた方、駄目ですよ。日本は、あなた方の出方に因っては、黙ってはいませんよ」
  • と云う姿勢を、はっきりと打ち出さなければならない時代に成って来ている、と云う事なのであります。世界の情勢は・・・。
  • 「戦争をしない日本」
  • 「戦後七十年戦争で人を殺していない日本」
  •  これが世界の評価である以上、その大前提を崩しては成りません。
  •  この基本倫理を厳守した国家保守を考える。これが日本人の大部分が求めている事なのではないでしょうか。
  •  それこそが、世界に示すべき、日本の「黄金柱の実現」であります。
  •  皆さんご存じ「火垂るの墓」で多くの人を感動させ、先ごろ亡くなった野坂昭如氏が、辞世の句ならぬ、辞世の手紙の中で、


  • 「私の心配は、日本の民主主義は、たった一夜で出来た民主主義です。たった一夜で出来た民主主義は、たった一夜で無くなりはしないか、と云うことが、私は、心配でなりません」


  • と、写文ではありませんが、憂いながら没して逝きました。
  •  そのたった一夜を、未来永劫につないでいく、その為の第一歩は、戦後教育ではないでしょうか。
  •  戦争責任は責任として明確にし、謝罪すべきは、その責を負い、正するところは、是とし、世界に正していく姿勢を、持つべきであります。
  •  間違った認識、中国の、朝鮮の、韓国の、ロシアのそれの様な事が、まかり通ることなく、日本人の誇り持たなければなりません。
  •  それは、アメリカとも一線を引くことでもあります。
  •  戦後アメリカは、日本に、一の利益を与えて十の利得を得てきました。
  •  日本が、それに甘んじて来たのは、アメリカの「占領ではなく、自由と尊厳を・・・」という甘いお題目を信じて、と云うより信じる事によって、自分達の心が、政治家の心が、救われたと云う事なのでしょう。日本の発奮が無いばかりに、甘い蜜を吸い続けられて来たからに他なりません。
  •  かと言って、日本には何の利益が無かったのかと云うと、そうではありません。
  •  多くの利益がありました。
  •  終戦2日後に、条約を無視して、攻め込んできたロシア(ソ連)の北海道を南北に分割し北海道をソ連領とする事が実行されて来たかも知れません。
  •  沖縄がアメリカ領沖縄に成っていたかもしれませんし、中国領沖縄に成っていたかもしれないのです。
  •  もっと言えば、名古屋を境界に、本土が二分され、東日本と西日本に成っていたかも・・・。
  •  そう考えると、アメリカに感謝するべきなのかもしれません。
  •  かもかも論は、別にして、新日本が再生した大きなきっかけは、何だったのでしょう。
  •  何と云っても朝鮮動乱の特需は、アメリカが作ってくれた恩恵であります。
  •  この昭和25年がなければ、日本の戦後の再建は、おぼつかなかったかも知れません。
  •  というより、復興は無かったでしょう。
  •  これを契機に、猛スピードの経済成長を期し、世界の大国に成ったのであります。
  •  その間に、「下町ロケット」に肩を並べる様な、世界に名だたる技術革新が、成された事も事実であります。
  •  これらのお陰で、国民生活の向上につながりました。
  •  国民の教育レベルが、世界レベルに成りました。
  •  世界の経済に大きく関与する産業規模にも成りました。
  •  このようにして、戦後の日本の産業振興が始まったのであります。
  •  新しい産業振興は、世界が目を見張るものに育っていきました。
  •  そしてバブルが始まりそして終わり、そして次に来たのが政治腐敗の傷口の露呈、官僚の前近代的思考の暴露なのであります。
  •  アメリカの民主主義を学んできた結果がこれなのです。
  •  アメリカンドリームの真似ごとがこの結果を生み出したのかもしれません。
  •  残念ですね、戦争を放棄した日本の再復興の原資が戦争であった訳です。
  •  アメリカは、自分たちで決めた、戦時においても尊守しなければならない民間人の生命尊重の義務を、東京大空襲と、長崎・広島の原爆投下を行って、自らつくったルールを破り、それを口封じする為に、最小の費用で最大の利潤を得て来たのであります。
  •  日本を占領すれば、将来に必ず、その責任を取らなければならなくなるだろう事を、予測して、彼等は巧みに、戦後をかいくぐって来たのであります。
  •  一日も早く、ニッポンが日本人としてのアイデンティティを明確にして、真の独立を勝ち取る。これこそが日本国民の切に願うところなのであります。
  •  戦後論はこのくらいにして・・・。
  •  そうそう、哲ちゃんの政治家としての姿勢でしたね。
  •  つまり、政治蝙蝠に成れと云うのでも、股ぐら膏薬に成れと云うでもなく、世間の大勢は今、どちらに向かっているのか、大衆の深層心理は・・・と云う事を、いち早く読み込む嗅覚であります。
  •  彼の律義さと真面目さが、こうしているのであると筆者は思っていますが、政治の大勢は、坂本竜馬(先進的すぎて人心を疎かにしてしまう)、西郷隆盛(西南戦争に見る様に、人心を重んじすぎて、情が厚過ぎて大成執行に向かない)的感覚では、駄目なんです。
  •  自分の政治で、世間を、斯くの如くしたいと云う夢を持つだけでは、政治家には成れないのであります。
  •  我夢に、集う者と、群がる者とを、きちっと型にはめて、其々の持ち前で、持ち場を守らせる。カリスマと云うか、神と声と云うか、そう云うものが無ければなりません。
  •  それを持たない無い政治家は、夢追い政治家として、理想化集団の情宣道具になってしまうか、群がる者たちのATM的役目を、背負ってしまうのであります。
  •  政治と云うものは、一流の人間の得意分野ではないのです。っということは、人間的には、二流以下の人間が得意とするところなのであります。
  •  伊藤博文が、西園寺公望が、岩倉具視が、生死をかけた維新の苦労を、彼等は、第一線でしていたのでしょうか。
  •  西郷従道は隆盛の弟、大山巌は、隆盛の従兄でありながら、征韓論にも、西南の役にも追随はせず、それどころか政府内に止まって・・・のであります。
  •  その後も、従道は、山本権兵衛を陸軍大将にして、日清日露戦争での海軍の歴史的勝利を治め、日本の夜明けの大立者に成りました。とは云うもののこれは、兄隆盛の大命題であった「ロシアの南下を決して許してはならない」を遂げたものであります。
  •  大山巌は、元帥陸軍大将をして74歳で終焉するまで数々の武運を上げ、内大臣、元老貴族院議員と重職を重ねています。
  •  いやいや、先人の苦労を彼等はかすめ取っただけなのであります。
  •  かといって、彼等は仕事を全くしなかったのかと云うと、そうでは無く、立派に政治を行っているのです。
  •  それは彼等に、二流でありながら一流の仕切りをする技量が備わっていたからなのであります。
  •  政治と云うものは清新な志と、潔白な身辺だけでは、成就しないのであります。それよりもしたたかな精神(薄情さと割り切り)と、野望と、カリスマ性のあるスローガンや大義名分を如何にアピールし、如何に、構築具現して行くかということなのであります。その上物事を大局的に観察分析する事が出来るという先天的能力を持ち合わせていなければなりません。
  •  歴代の、首相の面々を見ても頷けるでしょう。首相の面々よりも首相の傍で支えて来た人達、官房長官や幹事長の方に人徳者の多い事を・・・。
  •  例えば、戦後の首相の面々を見てみますと、大きく二分する事ができます。
  •  一つは、カリスマ性が強大で、ぐいぐい引っ張って行く、吉田茂や田中角栄、岸信介や小泉純一郎を代表とするタイプ、それに準ずる佐藤栄作、中曽根安弘。
  •  今一つは、海部俊樹や羽田孜、河野洋平や村山富一や森善朗などに類する様な昼行燈か、政治家の、ご都合日和見で誕生したタイプであります。
  •  鳩山由紀夫の様な宇宙人タイプや三本の指を立てて有名になった宇野宗佑などは論外であります。
  •  さすれば、哲ちゃんは、幕末の志士であっても、維新の元勲ではないと云う事なのです。
  •  正直、哲ちゃんが、本当に政治家を目指していたのであれば、もっと二流に成って政治の日和を見ていたならば・・・と思います。
  •  哲ちゃんには、幾度かそのチャンスがありました。
  •  支援した市長が保守支援で当選した時、全盛時代の野中広務さんが国政に絶大な力を持っていた時(国鉄の先輩後輩しかも父親の友人)。
  •  民社党が解党し民主党に成った時等々です。
  •  しかし哲ちゃんは、頑なに自分の信念としての政治信条の筋を通しました。
  •  姿勢は立派なのでありますが、政治家と云うものには、時代に合った読みと行動が合致しなければなりません。しかも強力な支持支援が必要です。
  •  仮に、その政治姿勢に大義名分があったとしても、それが机上の空論であったり、その大義が、選挙民にとって、支持支援出来ないものであったりしたのでは、その大義は、成就はしないのであります。
  •  選挙が、そのものではありませんか。
  •  選挙民は、往々にして我利に走ります。我利の全てが悪いと云うのではありません。
  •  人間の性として我利あればこそ、向上も有り、前進も有る事の方が多いのですから。
  •  我利無くして向上や前進があるとするならば、それは、高潔無比な尊敬するべき人であります。民の範としなければならない貴重稀有な人材であると考えます。
  •  筆者は、哲ちゃんが、宗旨替えした方に利がある事は、自分でも分かっていたと思います。
  •  それでも、自らの政治信条を徹しきった・・・。
  •  そんな中でも、府議会議員にまでなって、一期の内に会派まで構成して、議案提案権を獲得しているのでありますから、立派なものであります。
  •  そんな哲ちゃんは、筆者にとっては、三国一の立派な悪友であることに間違いありません。
  •  筆者が姉弟妹と見苦しいもめごとをしている時も、最初に仲介の労をとる事を申し出て来てくれたのも、哲ちゃんでした。
  •  筆者が転地する時も送別会の声かけをしてくれました。
  •  筆者の主宰していたボランティヤ活動の一翼を引き継いでくれたのも、哲ちゃんでした。その活動ももう三十年を超しました。
  •  そして、かれこれ二十数年続いているカニを食する冬の宴を発案してくれたのも哲ちゃんでした。昨年なんかは、会の二日前に玄関で転倒して、鎖骨を骨折したにもかかわらず病院を抜け出して1時間半も電車に揺られて出席してくれました。帰ってから院長に叱責を受けたとの事でありました。
  •  すごい男であります。
  •  広くは、福山哲郎(現参議院議員)さん、前原誠司(元民主党党首・現衆議院議員)さん、松井孝治(元経産省官僚・参議院議員・現慶応大学教授)さん達を、筆者に紹介してくれたのも、哲ちゃんでした。
  •  その他にも、何かと気遣いをしてもらっています。
  •  その上、哲ちゃんは、歌がうまいんです。
  •  筆者と哲ちゃんのデュエットで「旅人」(弾耕作詞作曲)は、鉄板ものナンバーであります。
  •  哲ちゃんは、今、政治政党の地区責任者をライフワークとして、次代を担う人づくりに勤しんでいるのである。と筆者は、信じています。
  •  まだまだ気の置けない哲ちゃん、頑張って行きましょう。
  •  哲ちゃんが、もし時代を読み、したたか成る決断を以って政治家に成ろうとしていたならば、今頃は間違いなく国政の場で活躍していたと筆者は思っています。
  •  でも一方では、哲ちゃんには悪いですが、この方が良かったかなあとも思っています。
  •  そんな哲ちゃんは、筆者が発起した環境ボランティヤの「サケの放流」を、今は飼育をするという形で続けてくれています。
  •  「人生二毛作」裏作には何を・・・、勿論「人づくり」ですよね。

 

「井の中の蛙、大海を知り過ぎては成らず

大海を知りて、井の中の蛙となれ」
猩々詠

  •  彼との出会いが無かったら、私の人生の拡がりは無かったでしょう。

平成28年2月 猩々記

 

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