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33.私の交遊録其の2(5/6)

  • 愛すべき愉快な我悪友諸氏

  • 第五話「はるばる君からの心の手紙」

 2016年第6号  - 猩猩 梅原 陽介 -


  •  我人生の心の支えに成ってくれたおかしくも個性豊かな面々・・・
  •  平成28年2月21日、筆者は、72歳を迎えます。平均寿命からすれば、残す処6年、次の申年には、遠き旅立ち完了と云う事に成ります。
  •  辞世の句は、少しばかり早すぎますが、友への感謝の意を込めて・・・。
  • 我を通し、意を以ってした幾星霜、
  •            ご恩を受けし友思幾人、
  •                 花は花なれ、人は人なれ
  • 平成28年2月某日猩々詠

 

  •  人は、誰でも一生のうちに、たとえ一時であったとしても、何人かの友を持つものであります。筆者にも一方ならぬお世話になった友があります。
  •  友と云うものは、親友と悪友があります。親友はもちろんのことでありますが、悪友と云うのもまさに人生の肥やしの如く意味深いものであります。
  •  筆者はこんな悪友をこよなく愛しています。
  •  そんな愛すべき悪友の面々を、故郷へ帰ってから出会った順に、紹介したいと思います。

「はるばる君からの心の手紙」

  • 何と云っても空君(69才)若い時は勝呂誉似、今は、荒井注、戦国武将なら真田幸村。

 

 
(左)勝呂誉 荒井注(右)


 真田幸村(上田市立博物館所蔵)

   

  •  空君との出合いは、青年会議所(JC)でした。筆者は、アンチJCでありまして、何かに付けてJCに対抗していました。筆者は、教師、市職員、JCメンバー、警察官、が嫌いなのであります。
  •  教師は、教師にデモなろか、教師にシカ成れぬから教師に成ったデモシカばかり。
  •  親が親戚が知り合いか、議員のコネで市職員に成った公務員。
  •  親の七光、くそ生意気で、我天下と大錯覚の若者?集団のJC。
  •  能も無いのに威張りたいばっかりに警察と云う組織員に成った警察官。
  •  要するに、衣を借りた狐が嫌いなのであります。
  •  失礼ながら当時は、世の中にこれほどの能無し居ないと思っていた筆者、昭和45年1月・・・。
  •  そんな時、長男が生まれました。その長男は、退院検診でファロウ4徴と診断されました。はじめは、何の事か分かりませんでしたが、ファロー4徴とは、新生児重度心臓疾患でありました。
  •  生後4カ年(4歳)位まで手術が出来ません。
  •  出来るとしてもその時に耐えるだけの体力があるかどうか、それに沢山の鮮血が必要です。そして経費、その全てが揃わなければなりませんでした。
  •  筆者は、こう思いました。
  •  月日と体力は、家内の努力と本人の体力や、運と気力や。
  •  経費やこれは何としてでも作る。
  •  問題は、鮮血や。
  •  保存血を献じて鮮血に変えてもらう。
  •  つまり、献血カードを出来るだけ多く集めて病院に提出し鮮血を用意してもらう事や。
  •  これしかない。
  •  筆者は、血は何処にある。それも若い血や、いろいろ当たった結果、地元で一番若い血が集まっている所は、消防団とJCや。
  •  消防団の幹部には、JCが多い。
  •  なら、早々に入会させともらわんとあかん。
  •  何がどうでも、JCに頭を下げて入れてもらわなあかん。
  •  好き嫌いは云うとれん。
  •  当時の理事長は、塩見剛佑氏早々に塩見邸の門戸を叩いて入会の懇願をした。
  • 「びっくりしたなあ、梅原さんどうしましたか」
  •  迎い入れた塩見氏は、事情を聴いて快く引き受けてくれました。
  •  しかしまだ理事会があります。理事会では相当もめた様ですが塩見理事長と次期理事長池田博行さんの説得があって入会が認められました。
  •  入会後もメンバー諸君のご協力を頂いて血液カードは順調に集まりました。
  •  取り分け康夫君(現環境保全会社会長)は、苦労を惜しまず57冊のカードを集めてくれました。有り難いことでありました。手術も無事終了、術後の経過も順調、息子は、只今42才に成り家族も出来ました。
  •  そんな事がきっかけで、空君とは、親交が始まりました。その後も親交をを深め、懇親の会を作ったり、ボランテェア活動をしたり、初詣に行ったり、取り分け政治に付いては何をやるにも二人は一緒でありました。
  •  こんな話がありました。
  •  ある年の衆議院議員選挙の時でありました。
  •  黒井、山安、川原、谷上、久井各氏・・・そして空君と筆者、まさに七人の侍リーダーは空君であります。
  •  諸氏の協力を得て、共産党もたじたじと成った大奮戦がありました。
  •  支援した候補者は、自民党の大重鎮、前尾繁三郎師、相対するは、共産党ではなく、同じ自民党の谷垣專一氏でありました。と云うのは、自民党京都二区の事務局が谷垣のみの応援を決めポスターの掲示に付いても拒否したのが発端でありました。
  •  筆者は、もと前尾の私設とはいえ秘書を勤めていた訳ですから、尋常ではありません。即座に我悪友連に声をかけ、賛同してくれたのが、彼らでありました。
  •  前日に成って持ち込まれた三百カ所近い公設の掲示場所に張り終えたのは、選挙戦に入って二日目に成ってからでありました。
  •  この年の選挙は、冬場でありました。
  •  厳寒の中を侍たちは、掛け走ってくれました。
  •  個人演説会をしてくれないんですから、広報車で走ることしかできません。候補者用の選挙カーは、一台のみ(これは何処でも一緒です)頼みの広報車も、名前を上げるのは、谷垣のみ、前尾の「ま」の字も云いません。
  •  そこで一計を案じたのが、候補者用選挙カーの封じ込めと南部に在している広報車の総動員であります。
  •  選挙カー封じ込めと云うのは、当該地域に入って来た選挙カーを狭い路地に追い込んでしまって時間稼ぎをすると云うものであります。
  •  候補者用の選挙カーと云うものは、タイムスケジュールを組まれていて時間どうりに動いています。つまり時間が過ぎれば次の地域に急がなければなりません。従って、路地に追い込めば、時間がどんどん過ぎて生き、いきおい飛ばし飛ばしで次の地域に急行せざるを得なくなってくると云うわけです。
  •  谷垣の選挙カースケジュールを手に入れ、早々に実行、広報車は、京都府内全域から七台集合一台に一人づつ配置して市内各所に、前尾繁三郎の連呼を轟かせ谷垣陣営を困惑させたのであります。
  •  慌てた谷垣陣営は、京都本部に、緊急連絡。急ぎ駆けつけて来たのが選対本部長の植木光教参議院議員(今回の指示を出した張本人)支部長の遠山氏と市内の巡回を始めたのであります。
  •  慌てたのは、彼らだけではありませんでした。
  •  共産党も驚いたようであります。
  •  共産党の支部長をしている河口市会議員から、「あの時は怖かった」と真顔で言われた事がありました。
  •  話は元へ戻って、そこへ出くわしたのが筆者でありました。
  •  二人の乗る車を追いかけ、前方に回り急停車させ、本部長を引きずり出し、張り倒してやったのであります。トレードマークのロイドメガネは、明後日の方の飛んで行ってしまいました。
  •  急きょ止めに入った、遠山氏の胸倉を掴んで、今回にやり口を非難し、早々に善処するべく攻め寄りました。運転手が植木氏のメガネを拾ってきました。植木氏は、早々に車の中へ、遠山氏の執り成しで、筆者もそこは引き上げ、次の指示を空くんに出しました。
  • 「空君、間もなく、警察が来る。知らんで通してくれ」
  • 「警察へは、私が行く、最初から決めてる事やから、拘留されるもんは一人で良い」
  • 「付いては、舞鶴に連絡を入れて動員をかけてくれ、もう一度総攻撃をかける」
  • 「了解」
  • と云うことで、波状型の攻勢をかけ、目出度くトップ当選を果たしたのであります。
  •  その時の事でした。馴染みの飲食店で祝杯をあげている所に、谷垣陣営の地区責任者をしていた野村氏が仲間で現れました。野村氏と云うのは、なかなかの豪傑で地元のうるさ連をまとめている御仁であります。
  •  いち早く、ご仁は、筆者を見つけ、つかつかというよりのっしのっしと近づいてきました。一瞬緊張が走りました。
  •  しかし御仁は、筆者の手を取り、
  • 「おめでとう、よくやった。皆さん聞いて下さい。ここに居る七人は、侍です。誇りです。拍手を・・・・」
  • と云って、店中、拍手と歓声で盛り上げてくれたのでありました。
  •  これが七人の侍の所以であります。
  •  縁と云うものは摩訶不思議なものです。
  •  この御仁の娘の一人は、医者ですが、筆者の幼年時代の女友達で、おませをいろいろ教えてくれた人でした。また、この御仁は、父親を政界から追い出した内のメンバーでもありました。更に、この時、仲裁に入ってくれた遠山氏の選挙には、全面協力をする事に成りましたし、谷垣專一氏の息子の谷垣禎一氏現自民党幹事長とは、専務時代に何かと交流を深めたものでありました。
  •  勿論、禎一氏は、親父に比べて申し分の無い紳士であります。
  •  少なくとも封筒の重さで話を聞くなどとのうわさ話は出ませんからね。
  •  禎一さんは、奥様を亡くされております。奥様も司法試験に合格されておりました。
  •  おしどり弁護士として生きた方が道が開けたでしょうね。清廉潔癖な人ですから。
  •  彼は人として一流ですね。筆者の自論は「政治家には、二流が必要である」からすれば・・・。
  •  えっ、例の警察沙汰ですか、どう云う訳か、何の連絡も来ませんでした。警察内でも分かっていたようでありました。(注釈・当時の選挙法は今では違反の事も合法でありました)
  •  こんな騒動を起こしたのも筆者にとっては、空君との悪友情の証しなのであります。
  •  筆者は当時、枕元には木刀を置いて寝ていましたし、車には常時、木刀様の丸い樫の棒を積んでいました。
  •  木刀では危険物に成りますからね。
  • 「世間では、陽ちゃんのいる処、空君あり、その逆もまた真なり」
  • でありました。
  •  ある年のお正月の事でした、我が家に出て来て、新年早々人権問題に付いても語り合いました。政治も議論を交わしました。経済も文化も街づくりも議論しました。
  •  息子の進路、娘の結婚、会社の事、みなみな語り合いました。
  • こんなこともありました。忘れもしません。
  •  筆者が大腸癌に侵され九死に一生を得て退院し、仕事に復帰して間もなくの頃、東京・大阪の出張には、何度か、空君が同行してくれました。
  •  私の出張に合わせて、自分の仕事を調整して同行し、私を相手先に送り込むと自分の仕事をしてまた迎えに来てくれたのでした。
  •  本当にありがたい事でした。
  •  東京の帰りには、東京駅の大丸で、おいしい梅干しとお弁当を買って、ビールを仕入れ、飲みながら食べながら京都に着き、時間があれば、祇園河原町に出掛けていました。楽しくも信頼のある時代でしたね。
  •  ある時でした。空君が神妙な面持ちで言うには、義父を、地元経済界のトップである会頭にしたいと云うことでした。おりしも会議所の陳腐化を憂い、会議所の有志を中心に改革のプランを練っていた矢先でありました。
  •  筆者もそのメンバーでありましたので、早速、彼らに提案し実行に移しました。義父にも快く承諾して頂いたので、会議所改革は、順調に進みました。
  •  結果としては、元役員は総退陣、新役員で構成された会議所は、順風満帆の再出発をしました。
  •  この体制は、当初の計画通り十年続けましたが、あれから十年、巷間、旧の木阿弥の様を呈していると聞いています。
  •  筆者もこの期間、会社を弊社し、専務理事として関与していただけに、まことに残念至極であります。些か責任も感じるところであります。
  •  そんな関係(会頭・専務)もあって、空君は、筆者が会社を閉社する際に発生した費用の一部を工場地買い上げと云う形で、援助してくれました。
  •  義父の会社であるとは云うものの、社長として、友として精一杯の義理を果たしてくれたのであると、今でも心底、感謝しなければならない事であると思っています。
  •  空君は、東京生まれの東京育ちです。が江戸っ子ではありません。
  •  親両親は、群馬出身であると聞いていますから・・・。
  •  空くんは、元金融マンでありました。
  •  縁あって奥さんと結婚、この地に婿養子として来たのであります。
  •  ここが空君の幸でもあり、不幸でもあったのかも知れません。
  •  婿に入った先が地元建設業の大手、名実ともに実力者の義父、事業も8割方出来あがったところに来たのです。
  •  社内はもちろん社外においても、まわりは、社長の時代の叩き上げばかり、何をしても素人、そして今で云う逆セクハラの応酬、それは大変であったと思います。
  •  しかし、世間は放ってはおきません。
  •  地元有力者の婿養子と云う事で、JC理事長、育有会会長、体育協会理事、卓球協会会長、後には建設業協会長、などの要職に就いています。
  •  でも空君にとっては、良かったのかどうか。東京に居れば、住み慣れた土地で、多くの顔馴染みと、慣れた空気の中で、心地よく人生を送れたのかもしれません。
  •  東京で、前述の様な要職に就くことは、万に一つも無かったと思います。
  •  一介の金融マンだった彼が、突然、社長業の勉強、結婚してから、土木建築の専門学校で専門職をいちから勉強し、出来る限りの努力をしたとしても、評価は、せいぜい半人前程度、良くも悪くも妬みと羨みの坩堝(るつぼ)、なにせまわりの全てが先代社長の叩き上げの部下ばかり、新人が入って来ても地元の人達か、縁故関係、先輩社員から何だかだと吹き込まれる、筆者なら早々に逃げ帰っていたと思いますね。
  •  空君が、何か不都合があった時など一緒に酒を飲むと、口ぐせのように、良く言ってました。
  • 「いざとなったら東京に帰ってやるよ」
  • なんてね。
  •  でもこれは、空君の強がりでしかなかったのでしょう。
  •  空くんは、とてもいい奴です。それは、私が証明しますよ。
  •  でも地元では彼の事を、上辺だけの付き合いで済ませていました。
  •  地元名士の跡取りだから、金を持っているから、顔が広いから等々、凡そ評価に値する類の付き合い方では無かったのでしょうね。
  •  ご都合に合わせて・・・。
  •  空君にはこんなところがありました。
  •  何処かで出会って挨拶をしても自分がその気にならなければ知らぬ顔をして無視をしてしまいます。笑顔で相手に接する事の少ないところがあります。
  •  そして、決断を嫌いました。
  •  責任を取ろうとしなくなりました。
  •  こちらから出て行く事をしなくなりました。
  •  それは、空君生来の気質では無いと、筆者は思っています。
  •  きっと人間不信が募っての事だと思います。
  •  綾部に来た頃にはそんなところはなかったのだと思います。
  •  それがどうして・・・。
  •  きっと、もてはやされている間に、人は寄ってくるもので、こっちからの気遣い気配りは、不要なんだと・・・。
  •  良く分かるんです。筆者にもそんなところがありますから・・・。
  •  空君と同じところがもうひとつ、空手です。
  •  空君は、松濤館、筆者は、糸東流。空手の流派です。
  •  空君は今、社長を後任に譲って、一役員として・・・。
  •  でも、年を重ねて来ると、心静かに、自分の行く末を考えるのも大切ですからね。
  •  空君、一人に成っても頑張って行こうぜぇ。


「人生正拳一本突き」 猩々詠


  •  筆者も、裏庭に、巻藁でも作って、突き鍛錬で人生の反省でもしましょうか。



「情けは人のためならず」

  • 彼は、私に人の情けを教えてくれました。

                                                                                                               
  
 

平成28年2月 猩々記

 

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