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34.私の交遊録其の2(6/6)

  • 愛すべき愉快な我悪友諸氏

  • 第六話「人生は各駅停車」

 2016年第7号  - 猩猩 梅原 陽介 -


  •  我人生の心の支えに成ってくれたおかしくも個性豊かな面々・・・
  •  平成28年2月21日、筆者は、72歳を迎えます。平均寿命からすれば、残す処6年、次の申年には、遠き旅立ち完了と云う事に成ります。
  •  辞世の句は、少しばかり早すぎますが、友への感謝の意を込めて・・・。
  • 我を通し、意を以ってした幾星霜、
  •            ご恩を受けし友思幾人、
  •                 花は花なれ、人は人なれ
  • 平成28年2月某日猩々詠

 

  •  人は、誰でも一生のうちに、たとえ一時であったとしても、何人かの友を持つものであります。筆者にも一方ならぬお世話になった友があります。
  •  友と云うものは、親友と悪友があります。親友はもちろんのことでありますが、悪友と云うのもまさに人生の肥やしの如く意味深いものであります。
  •  筆者はこんな悪友をこよなく愛しています。
  •  そんな愛すべき悪友の面々を、故郷へ帰ってから出会った順に、紹介したいと思います。

「人生は各駅停車ちゃん」

  • 健保くん(70才)(戦国武将なら藤堂孝虎)

 

 
(左)村田雄冶   藤堂孝虎(右)

 

  •  健保くんとの出会いは、子供の幼稚園の卒園式の後に開いたPTA連合会役員会の席でありました。
  •  そこで筆者の提案した、地域に昔話の語りと紙芝居のボランティア活動の会を作りたいと云う話をしたのが始まりでありました。
  •  以来親交が深まり家族ぐるみの付き合いが始まったのであります。
  •  このボランティアは、40住年近くたった今も、紙芝居の方で続けて頂いています。
  •  健保くんは、損害保険の代理店をやっています。しかも成績優秀な代理店です。
  •  健保くんは、もとは繊維商社の製造担当の営業マン、扱いは、靴下でした。靴下の編み立て工場に発注して納期納入を円滑にする。これが健くんの仕事でありました。
  •  しかし時代の趨勢で靴下の事業縮小に伴い健保君の身辺が騒がしくなりました。
  •  その結果、健保君に出された社命は、インドネシアへの海外転勤か・・・つまり、海外赴任が駄目なら退職という二択の勧奨であったのです。
  •  健保君が悩みに悩んで選んだ道は、退社でした。
  •  そして、次に選んだ道が損害保険の代理店でした。
  •  保険が初めて健くんは、東京の研修所へ単身赴任し懸命に保険業務の勉強をしました。
  •  研修期間を終えた健保くんは、家族と共に故郷の地を踏み、地元で損害保険事務所を開設しました。
  •  健保くんは、早くに父を亡くし、お母さんの生命保険の外交で育ってきました。
  •  損害保険を選んだのもこんな事情があったのでしょうね。
  •  しかし、最初からそううまくいくものではありません。
  •  保険を始めた人の誰もがする様に、親戚から初めて、友達、知り合いと輪を拡げて行くのでありますが、最初の内は、「頑張んなよ」と声をかけ、付き合い契約をしてくれますが、二度目三度目となるとそうはいきません。
  •  其々にも世間と云うものがある訳ですから、少しづつ契約が減ってきます。それでも健保くんは、もくもくと歩を進めて行きました。
  •  頑張ったと云うよりもそうするしかなかったのだと思います。
  •  時として、その道の先輩のお母さんに助けてもらったことも少なくはなかったと思います。
  •  手の空いた時には、田んぼで米を作りました。自家米です。
  •  お母さんの分と、自分の家族の分と。兄弟に送ってやる分と、畑はもっぱらお母さんの分野であったと思います。
  •  耕運機を操りながら、営業のプランを練り、コンバインを操作しながら、契約更新の顧客先を数え、何度も何度も繰り返しながら来月は、来年は、とその行く末を見つめて来たのだと思います。
  •  そんな健保くんは、我が家の子供たちにとっては、ボースカウトのリーダーみたいで、筆者とは別の存在でありました。
  • 「おっちゃんおっちゃん、おばちゃんおばちゃん」
  • と馴染んでいました。
  •  年末のおもちつき、秋祭り、運動会、旅行等々、何時も一緒でした。
  •  雪遊びも、筍掘りも、コンバインの取り扱いも教わりました。
  •  写真を見ても、筆者は居なくても、双方の家族の一男四女は、何時も写っていました。
  •  それくらい深い家族の付き合いでした。
  •  奥さんも、一時、筆者の会社に勤務して手助けをしてくれたことも有りました。
  •  が、結果的には、その事が良い結果を生まなかったのです。
  •  人の気持ちと云うものは、分からないものであります。
  •  一体、彼女の心に何が起こったのでしょうか。
  •  今でも筆者には・・・。
  •  残念でなりません。
  •  それでも、健保くんとは、ボランティアで、紙芝居と子育て講演をやっていました。健くんと行った会は、300回を超えるでしょう。
  •  そんな中で、一度だけ筆者が一人で行った事があります。
  •  何だかおぼつかなくて、ふわふわしながらの講演であったと憶えています。それは、健保くんが風邪をひいて寝込んだ時、それが一度だけでした。
  •  良いコンビだったのですね。
  •  健保くんには、本当にお世話に成ったと思います。
  •  今更ながらに成りますが、自分の家族を人の家族に委ねて良く子育てなんて・・・と思いますが、当時はそれなりに、筆者の思いがあったのであります。お許しください。
  •  そんな中で、健保くんが営業に行くと、
  • 「あっ、この前紙芝居見ましたよ」
  • とか
  • 「講演ご苦労さんでした」
  • 「うちの子どもが本を読むようになりました」
  • などの言葉を聞くようになり、健保くんは、これだ、と思ったそうです。
  •  人様のお世話は、見返りじゃない、陰日向なくやれば、やがて実ってくるもんだ。と、云うことが分かったと云っていました。
  •  こんな事も有ったそうです。
  •  雪が突然積もったある朝のことでした。
  •  隣町の客先に出掛ける途中に、田舎道で路肩に脱輪している軽自動車、運転者は、初老の女性、どうにも困っている様子でした。
  •  どうしようと思いながらも健くんは、訪問時間に遅れる事を知らせて、雪の吹雪く中、皮靴背広姿でその女性に、ハンドル操作の手順を指導し、自分は、満身の力を込めて後押しをしたのであります。やっとの思いで、車は、舗装路に戻ったそうです。
  •  急いでいたせいもあって、健保くんは、お礼を聞くのもそこそこにその場を離れたのでありました。
  •  その夜、聞き覚えのない声の電話がかかってきました。
  •  件の女性でありました。
  •  その女性は、去って行く健保くんの車の車番を書き留めて、警察に相談し、陸運局で調べてもらったそうでありました。
  •  この女性が、その後、健保くんのお客様に成ったのを健保くんから聞いたことがあります。
  •  健保くんは、その後大きく契約顧客を増やし、本社から何度も表彰を受ける優良代理店に成ったのであります。
  •  しかし時代の趨勢でありましょう、海外保険の規制が緩和され外資系の損害保険が国内で攻勢を続け、保険代理店の再編成を余儀なくされ、健保くんは、同系列同業事務所数社と合併合同の体制をしかざるを得ませんでした。
  •  その後、健保くんは、心臓に病が発症、今は退職し、養生を余儀なくされ、心静か成らずとも、晴耕雨読と成らざるを得ない日々を送っているとの事と聞いております。
  •  そんな健保くんは、筆者が発起したボランティアの昔話の紙芝居を、今でもライフワークとしてやり続けてくれているようです。
  •  嬉しくも有難い事ですね。これまた感謝であります。
  •  平成7年1月17日午前5時46分地震は起きました。
  •  マグニチュード7,3震度7、志望者6434人不明者3名、彼の、阪神淡路大震災です。
  •  筆者の親戚にも被害は及びました。
  •  長男、芦屋に住む叔母夫婦、甲東園に住む義理の姉夫婦、長男は、地震発生と同時に連絡を取ってきましたので、状況を聞き手筈を取りましたので夕刻には、我が家に帰ってきました。芦屋と甲東園は、連絡がとれませんでした。
  •  翌朝に成って大阪の姉から甲東園は、全壊、姉夫婦は、近所の人に助けられて九死に一生を得ました。
  •  間もなく芦屋からの連絡が入りました。東京の叔母が駆け付けてくれて、只今、芦屋高校の避難所に居ると云うことでした。叔父がタンスの下敷きに成って腰を痛めていると云うことでありました。
  •  翌日には電話が入って、何とか助けに来てくれないだろうか、と云うことでした。
  •  叔母夫婦は、パニック状態でありました。
  •  とにかく助け出しに行く事にしました。
  •  まず必要なのは、自動車です。
  •  それも寝台の出来る大きなものであります。
  •  幾ばくかの荷物も積まなくてはなりません。
  •  条件を整えました。
    • 1、箱形の大きいもの。
    • 2、燃料が手に入りませんから、ジーゼルエンジンである事。
    • 3、運転が確実である事。
    • 4、被災地への乗り入れ許可証が必要である。
    • 5、行程図。
    • 6、食料、水。
    • 7、暖房グッズ、薬、傷テープ
  •  そこでお願いしたのが、健保くんでありました。
  •  健保君は快く引き受けてはくれましたが、心中穏やかならぬものがあったと思います。
  •  車に畳を敷きました。燃料代わりに灯油を積みました。運転は、健保君ですから間違いなし。問題は許可証、これは、哲ちゃんにお願いして、京都府警のお墨付きを頂きました。
  •  これで万端整いました。
  •  出がけには、家内の気遣いで、おにぎりと惣菜を重箱に詰めてもらいました。
  •  一日掛るか、二日掛るか分かりません。
  •  とにかく行程図通りに芦屋に向かって走りました。
  •  福知山から篠山を抜け、三田の北側から六甲山の一番西側にある六甲トンネルを抜ける、と云う行程であります。
  •  問題は六甲トンネルが抜けられるかどうかでありました。
  •  思いの通り、三田の北側までは難なく行けたのでありますが、六甲トンネルには、ゲートが懸っていました。進入は、緊急自動車等の車両に限るとありましたが、許可証と筆者と健保くんの装束が功を奏して、通過が許されました。
  •  装束とは、白いヘルメット、白い上下のレインウエア―、それに敬礼、でありました。
  •  但し条件付きでありました。
  •  まだ危険な状態でありますから何事が起きてもその責任は負わないと云うものでありました。
  •  それを承知で六甲トンネルに進入して云ったのであります。
  •  健保くんにしてみれば筆者と友達であるばかりに、このはめに成ってしまったのですから本当に申し訳ない事をしてしまったと、今でも深く感謝をしています。
  • トンネル進入路に入って間もなく、道路に亀裂がありました。段差が付いていました。緊急用の応急手当がしてありましたが、付け焼刃の様なアスファルト補修であります。グラッときたら一度で崩れ落ちてしまいそうな・・・。
  •  恐る恐る乗り上げ越えて、進みました。
  •  いよいよ、トンネルに入ります。
  •  このトンネルは、最も古いトンネルで、天井は低く、幅も狭く、以前からいかにも旧型トンネルと云った記憶がありますので、恐怖はぬぐえません。健保くんと顔を見合わせて、うなずき合いました。
  •  トンネル内の電燈は、勿論点いて云いません。
  •  ライトを消してみると漆黒の闇であります。
  •  勿論自動車は、一台も通っていません。
  •  トンネルの中ほどが馬の背に成っているので向こうが見えません。
  •  ライトをアップにしても低い天井に反射して薄黒く光るだけです。
  •  排ガスの黒ずみが、何とも形容の仕様の無い恐怖感を誘います。
  •  そんな中を、二人は無言のままこの閉鎖的なトンネルを無事に抜ける事だけを考えて走り続けました。
  •  無事トンネルを出た時には、ふたりは、無言のまま心の中で
  • 「よかった」
  • と呟きました。
  •  芦屋川に沿って南下しました。
  •  国道1号線を越えて西向きに少し走ると、そこに芦屋高校がありました。校舎の中には、被災者の皆さんが、所狭しと雑居されていました。
  •  校庭には、自衛隊が設置した、トイレと風呂が並んでいました。
  •  行政マンか施設を指揮していた人に、ここの区分けはどうなっているのかと聞くと、概ね町区で分かれているとの事でありました。叔母の居る処は、体育館のようであります。
  •  校庭を抜けて体育館には入りました。
  •  床が見えないほどに被災者の皆さんが、肩を寄せ合っていました。
  •  その間を敷き物の段ボールや銀色のキャンピングシートや毛布を踏まない様にしながら、
  • 「宮塚町の西川さんは何処ですか」
  • と幾度も声をかけました。
  •  その時気付いたのですが、皆さんの視線です。
  •  無言の視線が助けを求めているのです。
  •  しまった、このいでたちは、通行には良かったが、ここでは悪かったと、反省しきりでありました。
  •  その時でした、
  • 「先生、助けて下さい」
  • と知らないご高齢の女性から声を掛けられたのであります。
  •  白いヘルメットに白い上下、金縁の眼鏡、その時筆者は、口ひげを蓄えていたのでありました。これでは誰が見たって医者ですよね。だから「先生助けて下さい」だったのです。
  •  筆者は、その女性に、少しお待ちくださいね。と云って肩を掴むようにして軽く叩き勇気付けながら、その場を去りました。
  •  叔母夫婦を探し当て、叔父を担架に積んで車に運び、避難所を後にしたのであります。
  •  先ほどの指揮者の方に
  • 「大変でしょうが、皆さんの為に頑張って下さい」
  • 「先ほどの女性に声を掛けてあげて下さいと」
  • といって・・・。
  •  本当に後ろ髪をひかれる思いでありました。
  •  今でも思います。被災者の皆さん申し訳ありませんと・・・。
  •  でもこの事が、後々、親族もめの火種になろうとは、「助けは人の為ならず・・・・」と思ってした事が、終生の禍根に成ろうとは、この時は、思いもしませんでした。
  •  健保くん、無理をしないで頑張ろうよ。
  •  この人生は、誰のものでも無いんだから・・・。
  •  斯く言う筆者も、過日、循環器センター送りと成りました。
  •  間もなく仲間かも・・・。
  •  とりわけ健保くんには、幸多かれと願うところであります。
  • 「白銀も黄金も玉もなにせむに、勝れる宝子にしかめやも」山上憶良
  •  彼は、私に家族愛を教えてくれました。
  •  大人の都合で、家族付き合いを反故にしてしまった事、今にして思えば、筆者の不徳でありましょう。
  •  それなりの理由があってとしても・・・。
  •  縷々筆者の「我愛すべき悪友諸氏」をご紹介してきましたが、今日、彼等の全てとうまくいっているというものでもありません。
  •  上々が二人、まずまずが一人、些かが一人、何とかが一人、皆無が一人、難しいものですね、人間関係と云うものは・・・。
  •  只一つ言える事は、今日交流のある無しに係わらず、この悪友諸氏には、間違いなくご厄介になったと云うことであります。
  •  又、私の人生の幾つかのページを飾り、豊かにしてもらったと云う事実であります。
  • 近からず遠からず、常ならず疎ならず、富ならず貪ならず、
  • 優ならず劣ならず、幸ならず災ならず、誠人生矛盾の坩堝なり
  • でありますね。まだまだ人生勉強途中です。

 


 火宅の友と成りても、青天の友となるなかれ
猩々&森繁久彌詠 平成21年10月9日没

 

 
(左)江戸川コナン(名探偵コナン) 山本勘助(右)

 

  • 筆者はこんなイメージだそうです。



平成28年2月 猩々記

 

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