京都弁護士会所属 田中彰寿法律事務所 京都の中堅・中小企業のための法律事務所

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35.震災から学んだ刑務所と地域の関係

~これからの災害対応策のひとつとして、
      併せて、何事も新しい視点を以って~

 2016年第8号  - 猩猩 梅原 陽介 -


  •  Yahoo!ニュースに、熊本刑務所に係わる記事が掲載されていました。
  •  江川紹子さんの「3つの災害から見る大災害と刑務所」(リンク先はYahoo!ニュース)です。
  •  この記事を見て筆者は、記事の本筋を踏みながらペンを取る事にしました。

 

  • 平成28年4月14日21時26分
  • 大変な災害がまたしても日本列島を揺るがしています。
  • みんなで助け合い、励まし合いたい。
  • 何時の時も、心のどこかで、安否を気遣うだけでも
  • 心のウエーブが、つながって行く。
  • このウエーブが、活性の礎となるように。
  • いつまでもいつまでも・・・。
  • 遠くまで遠くまで・・・。         猩々詠

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「驚きました」

  •  驚いたのは、今回の熊本の大震災で、いち早く、
  • 「熊本刑務所が施設の一部を開放」
  • して、多くの被災者を受け入れ、水や食糧の提供をしていると云う事でありました。
  •  開放された施設は、受刑者収容棟からは、隔離された建物で、職員用の武道場だったそうです。


熊本刑務所

  •  広さは、252㎡と云いますから約80坪弱、この施設に、多い時には、250人以上の人達が身を寄せていたと云う事であります。
  •  この様に矯正施設の一部を災害時に、避難場所として地域住民に提供すると云うのは、日本では、初めての試みであると云う事だそうです。これも驚きました。
  •  今回は、場所だけではなく食事も提供されたそうです。提供された食事の中身は、中華丼、鶏飯、栗ごはん、さんま味噌煮缶、カレーライスなどでありました。
  •  他にも、この施設内には、井戸水が汲めると云う事で、水を求めて来る近隣住民も多くあったと云う事です。

 

  •  筆者も知らなかったのですが、刑務所と云う施設では、受刑者と職員の食糧は、七日分ストックしておくと云う決まりがあると云う事だそうです。
  •  現在の熊本刑務所での受刑者は、491名、職員は188名都合679名、対応食糧として、約二万食を備蓄していたと云う事であります。
  •  皆さんも、備蓄量が些か多いのではないか、と云う事に気が付かれたでしょう。これには理由があります。それは受刑者と云う立場であります。
  •  受刑者は、災害時における「災害救助法」の救助対象にはならないのだそうです。筆者もこれは知りませんでした。
  •  従って、災害時には、其々の刑務所が自力で対応しなければならないと云う事なのであります。
  •  今回の震災では、近隣矯正施設間の協力を仰ぎ、福岡と広島の矯正施設から都合3万5千食を調達し佐賀少年刑務所に搬入備蓄し、その都度、必要分を熊本刑務所に補充搬入する体制を取ったと云う事であったそうです。
  •  これは偏に矯正施設間の協力体制がネットワークとして形成されていると云う事なのでしょう。
  •  今災害時(熊本大地震)の様に、矯正施設(刑務所)と地域住民との間に、この様な相互扶助関係が出来る様になったのは、
  • 「東日本大震災(2011年3月11日)の経験」
  • が大きいそうであります。
  •  当時(東日本大震災)、法務省は、被災した刑務所の支援を行うと同時に、全国の施設内からボランティアを募って、矯正所職員、刑務官の支援団を組織し、石巻市の避難所に派遣して、物資の供給や炊き出しなどの支援を行い、大いに感謝されたと云う得難い経験をしたのであります。
  •  この支援活動が契機に成って、日頃は、刑務官として受刑者対応に専念している職員が、地域住民の皆さんと直接接するようになり、新たな地域コミュニケーションが培われる様に成って来たのでしょうか。
  •  今回の支援は、この経験を更に前進させたもので意味深いものであると思います。
  •  とは云いながら、一方では、災害時に受刑者たちが、食事の提供を受け続けている事への批判も受けておりました。

 

  • 「地域住民が、食うや食わずのこの非常時に、罪を犯した者が、三度三度の食事を労せずして受けている・・・とんでもないことや。けしからん」

 

  • と怒りをあらわにする人もいたと云うことであったそうです。
  •  受刑者への食事の提供は、受刑者の心情の安定や秩序の維持にも大切な事でありますし、引いては、刑務所周辺の住民の住環境の安定にある。と、矯正施設側は考えていましたが、当時は理解されていなかったようです。
  •  非常時における民感情からしてみれば、「官の常識、民の非常識」と云う事だったんでしょうね。受刑者が、非常時の「災害救助法」の対象に成っていないと云う事は知らなかった訳ですから・・・・。
  •  そんな中での対応であったそうです。
  •  過去の矯正施設は、さほど人家の多くないところに建てられていました。今では住宅地が広がって来て、施設の周りに住宅地が密集してきている所も少なくないと云う事であります。
  •  従って、刑務所の運営も、地域を意識しない訳には行かなくなってきたと云う事なのであります。
  •  法務省によりますと、東日本大震災後、住宅地に隣接する矯正施設では、災害時に被災した地域住民を受け入れる「災害協定の締結を、地元自治体と協議」するようになったと云う事であります。
  •  すでに、全国で10か所以上の施設が協定の締結を済ませていると云う事であります。
  •  今災害(熊本大地震)も、熊本市と熊本刑務所が協定を結ぶべく準備を進めていた矢先の震災であったそうです。
  •  地域住民の皆さんも、自治会などを通じてその情報を知っていたと云う事だそうです。地域住民の多くの皆さんが、刑務所を頼って来られたと云う事でありました。
  •  これまでは、何かと迷惑施設と見られがちであった矯正施設です。ここにきて、地域住民との、新しい関係が、始まったと云えるのかも知れません。
  •  この震災で、熊本刑務所の被害状況は、刑務作業工場で、蛍光灯の落下や棚が倒れたりする程度の小被害はあったものの、住居棟などの施設では、今の処大きな被害は無いと云う事であります。
  •  刑務所の施設は、耐震対応も含めて用途上堅牢に作られていると云うことなのでしょう。
  •  これまでの各地の大災害でも、甚大な被害は無いと云う事であれば、矯正施設周辺に住まいする地域住民の皆さんは、いざと云う時の避難場所の一つとして認識しておかれる必要があるのではないでしょうか。
  •  筆者の知る限りでは、日本の刑務所で、災害時に乗じて暴動や脱走が起きたと云う話を聞いた記憶がありません。時代劇や映画の世界は別として・・・。
  •  ところが現実には、暴動や脱走どころか、まったく逆の現象が起きていると云うので現実の様あります。

 

  •  以下は、当時(東日本大震災時)府中刑務所処遇部長、(後に同所長)をしておられた手塚文哉さん(現大阪矯正管区長)からお聞きしたと云うお話だと云う事であります。
  •  「府中刑務所」と云うのは、元は、長谷川平蔵宣以(のぶため)でご存じの老中松平定信の命により開設された火付け盗賊改に端を発し、巣鴨監獄署となり巣鴨刑務所と改名され、関東大震災の全壊を受け現在地(府中市)へ移転したものであります。2842人の収容人員に対して常に3000人以上の受刑者を収容していた。(2011年9月を境に減少し、2015年10月時点では、2086人の収容である)


現在の府中刑務所

  •  日本最大の刑務所で、犯罪傾向が進んだ再犯者を収容する施設であると云う事だそうです。暴れたり、騒いだり、職員に反抗したり、様々な問題を起こす「処遇困難者」が多く入所していると云う事です。
  •  暴れて取り押さえなければならない様な非常事態を知らせる非常ベルが鳴り響くのは、平均1日3回。保護室に入れられる受刑者も、毎日2名程度は居ると云う、国内でも有数のハードな刑務所であると云う事であります。
  •  その府中刑務所で、2011年3月11日の大地震(東日本大震災)が起きてから月末までの20日間、非常ベルが一度もならなかったそうであります。
  •  震災直後、一番困ったのが計画停電であったそうです。受刑者を暗闇の中で生活させるのは、どうしても危険が伴います。手塚さんも含めた職員全員で巡回しておられた様ですが、その間、誰も騒がず、問題事象も起こらず、本当にびっくりするほど静かであったと云う事であります。
  •  地震発災時には、多くの受刑者は、工場で作業中でした。すぐに居室に戻し、テレビを見る事を許可されたそうです。
  •  普段は、番組を録画したビデオだけが放映されるのですが、この時は、NHKの生番組を就寝時間まで見られるようにされたようです。その後も、しばらく災害報道は自由に見られるようされました。
  •  受刑者は、食い入るようにテレビを見入っていたそうです。
  •  今、日本では、こんな大変なことが起きている。こんな大変な時に、自分たちが騒いではいけない、と云う意識が自然発生的に受刑者の気持ちの中に生まれていたのであろうと思われます。
  •  状況が落ち着き、作業が再開されるようになって、思いがけない申し入れがありました。
  •  それは、受刑者の方から、「ストーブは付けなくて大丈夫です」と云うのでありました。
  •  被災地では、ガソリンや灯油が足りず、被災者の皆さんが、寒さに耐えています。寒さに震えている姿をテレビで見て、作業場で暖房をつけるのは、申し訳がないと云うことでした。こんな事は、施設側も思いもしなかった事だったそうです。
  •  そのようにして、節約できた灯油は、計画停電で必要になった非常用発電機の燃料として使用されたと云う事です。
  •  さらに、「受刑者からの申し入れで、義捐金の募金」も行ったと云う事です。
  •  全国で同じような動きがありまして、法務省の調査で、同年の6月11日までの3ヶ月間に集まった募金は、8235人の被収容者から合計6千169万5895円もの義捐金が集まったそうです。
  •  一人平均にしてみると7500円になりました。(手塚文哉さん弁)

・・・・・・・・・・・・

  •  歴史をひもといてみます。
  •  大災害と刑務所と云えば、これまでで最大の被害が出たのが関東大震災(1923年大正12年)であります。小野義秀氏(元東京矯正管区長)の著書『日本行刑史散策』によれば、殺人などの重大犯罪を犯した無期囚を含む長期受刑者を、1295人を収容していた「小菅刑務所」(後の東京拘置所)は、この震災で、建物の大半が壊滅的打撃を受け、受刑者3名が死亡したと云います。


旧小菅刑務所庁舎


 現在の東京拘置所

  •  勿論負傷者も有った事でしょう。
  •  塀も倒壊しました。
  •  ところが、受刑者は誰一人として逃亡することはなく、職員の指示に従い、救護活動などに参加したと云う事であります。
  •  当刑務所では、クリスチャン典獄で知られる有馬四郎助(しろすけ)所長(元網走刑務所初代所長)が、

 

『受刑者を犯罪者としてではなく、人間として処遇する』

 

  • と云う教導方針が浸透しており、受刑者自治制も施行されていたと云う事であります。 
  •  「クリスチャン典獄」とは、まず典獄と云う言葉であります。聞き慣れない文言でありますが、旧称として監獄の長たる者の呼称であります。
  •  今で云いますと刑務所長と云う事に成ります。
  •  これにクリスチャンが付く訳ですから、クリスチャンの教えを持った監獄長と云う事に成ります。この有馬四郎助が「クリスチャン典獄」と云われるのは、彼の刑務所長としての受刑者との対応が博愛の精神そのものであったと云う事に成ります。

 

  •  こんな逸話があります。
  •  関東大震災後に来日した、ウイスコンシン大学ギリン教授(社会学)の訪問を受け、

 

「大震災時に一人の逃亡者も出さなかった、
その術は何か、その秘訣は、何なのか

 

  • の問いかけに、有馬四郎助は、次の様に答えています。

 

  • 『あなたは多分、私がクリスチャンである事をご存じでしょう。
  •  私は各人の善に対する可能性を信じ、彼等を囚人としてではなく、人間として処遇します。
  •  彼らが不平を持てば、良く聞き出してやります。
  •  出来れば彼等を直してやります。
  •  わたしは彼等と友人なろうと努力します。
  •  彼らが生活方法で気の付かない過誤があれば、教えてやる事にします。
  •  わたしは彼等を釈放するに際し、正直な生活につくよう助力します。
  •  私はキリスト教に付いて説教しません。
  •  ただその教えが生きるように試みました。』

 

  •  この教えは、わが故郷の先人波多野鶴吉翁とも、多いにつながる処があります。
  •  波多野鶴吉翁に関しましては、
  • 猩々の呟き2013年5号(No.009)
  • ・ 猩々の呟き2013年6号(No.010)
  • ・ 猩々の呟き2013年7号(No.011)
  • をご拝読頂ければ幸いであります
  •  従って、この様な有馬四郎助の教導の元、ここでは既に、職員と被収容者との信頼関係が構築されていました。その証が、震災と云う非常時に立証されたと云う事であります。(クリスチャン典獄有馬四郎助に付いては、近い号『猩猩の呟き』でご紹介したいと思っています。)

 

  •  勿論、そのような美談話ばかりではありませんでした。
  • 豊多摩刑務所(後の中野刑務所・昭和58年閉鎖)では、受刑者が騒ぎを起こし、職員が抜刀して威嚇したが収まらず、遂には、警備の兵士が発砲、受刑者一人を射殺。

 


 豊多摩刑務所


法務省矯正研修所東京支所研修所敷地内に保存されている監獄の表門

  

  • 巣鴨刑務所(後に、府中刑務所に移転)では、騒乱状態を鎮静するために拳銃が発砲されています。

 
 1945年(左)と1948年12月(右)の巣鴨刑務所

 

  • また、被害が全壊であった横浜刑務所(現在地に移転)では、騒乱や発砲や射殺などではありませんが、受刑者58名、職員3名が犠牲者と成り、重傷者も多く出たと聞いています。


関東大震災で全壊した横浜刑務所の煉瓦造りの外塀と舎房


現在の横浜刑務所

  •  地震で建物が壊滅状態に成った上に、近くで出火した火災が、刑務所の倒壊した建物に燃え移り、辺り一面が火の海と成りました。受刑者を収容する施設や場所は他になく、備蓄していた食糧、水、寝具は、全て失われてしまいました。
  •  そんな状況の中、口々に解放を叫ぶ受刑者を抑える術もないままに、椎名通蔵所長は、24時間以内に戻ることを条件に全員を解放したのであります。
  •  当日の収容人員は1131名、死者、重傷者を除いた1033名の受刑者を解放したのであります。
  •  約束された24時間と云う、制限時間以内に帰って来た受刑者は、565名、遅れて帰って来た受刑者は328名、合わせて893名、最終的に帰還しなかった受刑者は140名。
  •  結局86%以上の受刑者が帰還したと云うのであります。この数字を、多いと見るのか少ないとみるのか・・・・。
  •  帰らなかった140名に付いては、法規に基づき逃走犯として処理されたと云う事です。が、しかし逃亡者は、0、無かったと云う記述も存在する様であります。はてな・・・。
  •  いやいやこの疑問はこれまで、ここで大切なのは、帰還した云う事実と、その後の受刑者の行動が示す処であると思います。
  •  帰還した893人の受刑者(別の記述には943人と記されています)は、椎名通蔵施設長の指示のもと、粛々と消火活動、救助活動、食料や復旧資材の運搬、更には、多くの犠牲者の遺体発掘作業にも、進んで参加したと云う事であります。
  •  そんな姿を見た近隣住民からは、後々、大いに感謝されたと云う事であります。
  •  が、その一方、最初の頃には、悪い噂も流れたそうです。数百名の受刑者が脱走し、看守から奪った刃物を持って、市内で略奪や強姦、殺傷など悪の限りを尽くし、巷は今や阿鼻叫喚の図となっている。それは帝都東京の治安をも悪化させていると云う噂です。それを聞いた市民は、恐怖に慄いたと云う事でもありました。
  •  しかし、事実は大きく異なっていたと云う事であります。
  •  この事を解明した本があります。それが前述の『典獄と934人のメロス』(坂本敏夫著)であります。
  •  機会があればお目通しを。

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  •  日本の法律では、基本理念に人命の尊重を柱として、受刑者を解放する場合は、「天変異変が生じて他に手段が無いとされた時にのみ」として、「監獄法」で解放という規定があり、「天才事変に際し囚人の避難も他所への護送も不可能であれば、24時間に限って囚人を解放することが出来ると云う」長の執行が認められた措置であり、最後の最後の手段であります。
  •  今日までに受刑者が解放されたのは、「戦時中の空襲」「関東大震災時の横浜刑務所」「函館大火災(1934年昭和9年)」(その際に、函館刑務所から90名が解放された)があるくらいであります。
  •  現行法の「刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律」(刑事収容施設法)でも、『地震、火災その他の災害に際して、施設内に於いて避難の方法が無く、他の施設に護送も出来ない時に緊急措置として所長の権限で開放する事が出来る』と定めています。
  •  小野義秀氏は、これを「日本独特且つ伝統的制度」と評しています。
  • 人命を尊重するの理念は尊く、それが法制度として維持されている事は、大いに誇りとしたい。只、それが発動される事態に成らない様に、日頃より万全の対策をしておくべきは云うまでもない 
  • と記されています。

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  皆さんもお気付きだと思いますが、毎日のように、目を覆い、耳を塞ぎたくなるような事件ばかりが続きます。

  •  筆者は、それに対応すべき、法整備が大きく立ち遅れている感は否めないと思います。
  • 「犯罪と社会環境(取り分け家族関係)」
  • 「犯罪と法整備」
  • 「裁判官と国民意識との意識差、裁判員制度の在り方」
  • 「社会倫理(罪の意識)の変貌」
  • 「犯罪者(取り分け刑期終了者)と社会環境(再出発の砦づくり)」
  • などが早急の課題であると思います。

 

  • どうか皆さんも、何時の時もどんなことにも、新しい視点を持って日常生活を・・・。

 
 

                                                                      平成28年4月20日猩々記 

 

 

 

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