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36.我懐かしき味の世界・
  わたしの思い出ご飯などなど (1/3)

 2016年第9号  - 猩猩 梅原 陽介 -


思い出の味が人生を育む

  •  季節と時代、そして人は、味の追憶を蘇らせるものであります。
  •  春には春の味、夏には夏の味、秋には・・・、冬には・・・、とある様に、今にして思えば古き良き時代を、いや悪しき時代をも、大らかに包み込み茫々として思い起こさせてくれのであります。
  •  今回は、筆者の懐かしき味として、今でも記憶に残っていると云うお話をさせて頂きます。
  •  味と云うものは、食した時には勿論のこと、誰もが舌で感じる味覚なのですが、記憶に残ると云うことでは、脳の問題に成りますね。つまり、「うまい」「美味しい」と舌で感じて、その「うまさ」「美味しさ」を脳が感じて、その感じた度合いで、記憶の引き出しに、しまわれていくと云うことであります。
  •  「うまい」とか「美味しい」という感覚は、味覚で感じ、その感じ度合いは、脳が記憶して行くのです。従って、「うまい」とか「美味しい」で始まった一品は、人生の一ページとして、記憶の引き出しの中に、収められていくのである。と、筆者は、考えています。
  •  それでは、筆者の「我懐かしき味の世界」をご紹介していきましょう。

さくまのドロップス

  •  中年以上に皆さんは良くご存じでしょう。さくまのドロップス、ハガキの二回り程小さい位の大きさで厚さが2センチ5ミリってとこかな、上部の端に、丸い穴が開いていて、同じブリキの蓋が付いていて、カンカンのカバチ(蓋のひっかり)に、硬貨の端をあてて、テコの原理で蓋を開ける。中の飴を出すのに、カンカンを少し斜めに傾けて、カラカラと乾いた音を立てて、下からのぞきながら出す。あれですよ。
  •  何で少しだけ傾けるのかと云うと、自分の欲しい色と味のが出て来るのを、探る為なんですよ。しかもその権利があるのは、その時いる中で、一番上の姉か兄、生唾を呑みこみながら自分の順番をジーッと待つ、あの瞬間の緊張感と期待感は、何物にも代えがたいものがありました。
  •  残り少なくなると、飴の好き嫌いは云えません。出て来た順番に、口に入れていきます。一度カンカンの蓋を開けると湿気が入って、中で飴同士がひっ付きます。縦に振ったり横に振ったりして、バラバラにする。これもまた楽しみの一つでありました。
  •  飴同士が当たり合って、カケラと音が出ます。このカラカラが、また美味しいのです。いろいろな飴の味が混ざり合って、何とも美味しいのです。味がミラクルなのでした。

 
※画像はイメージです。

  •  筆者は、「さくまのドロップス」を見ると、彼のアニメ「火垂るの墓」(野坂昭如著)を思い出し、何とも形容のしようの無い気持ちが、胸いっぱいに成ってしまい、目頭を濡らしてしまうのであります。皆さんにも覚えがあると思います。

 

森永ミルクキャラメル

 

  •  当時は、中身が10個でした。1箱の全てが独り占めできる時代ではありませんでしたから、1箱の中の10個を兄弟姉妹で分けるのです。油紙で律儀に包んだ四角形の、所謂キャラメルです。
  •  今でも、キャラメル形とか、キャラメル包みとか云う包み方に使われている言葉がありますが、あの頃はきっと、一つづつ手で包んでいたんでしょうかねぇ。
  •  何時の頃からなのか分かりませんが、包みは、キャラメルに紙がピタッとくっ付いてしまいました、昔の包みは、ふわっと包まれていて、何か温かさを感じていたのですが。包み紙をキャラメルから剥がす時も、今のは、ベタッとひっ付いているものですから、夏場などは、キャラメルが一度緩んでしまうと、包み紙は、スキッと剥けません。ですから筆者は、冷蔵庫に入れています。が、そうすると風味が些か損なわれますね。
  •  昔のは、両端の折り返しを開くと、うっかりすると落としてしまいそうな位でふっくらでした。そのふっくらさも、キャラメルの味の一つだったのですよね。それでも長く置くと包み紙は、キャラメルにベタッとします。そうするとなかなか面倒。昔の包み紙と今の包み紙との違いでしょうか。
  •  でも、昔は、目の前のものは、瞬く間に胃袋に収まっていましたから、ひっ付いている時間など無かったのかもしれませんね。

明治の板チョコ

 

  •  日本の本格的なミルクチョコレートのはしりでは無かったでしょうか。大判で、包み紙が豪華さを引き出しています。深い紫茶(いわゆるチョコレート色)のベースに、金色も文字、それも包み紙一杯に書き込んであるあの豪華さ、包み紙から見て、いかにも美味しそうでありました。
  •  包みを開くと、ぷーんとチョコレートの香りが鼻のまわりに漂います。と云うよりまとわりついてくるのです。もうたまりませんねぇ。
  •  でも、この魔法の様なチョコレートは、何時でももらえるものではありませんでした。運が良ければ、ある日の、ある時間にだけそのチャンスが訪れるのであります。
  •  それは、父に時間が出来て、封切館に、父の好みの映画が懸かった時、これが千歳一隅のチャンスなのであります。父の好みは、一に時代劇、二に刑事もの、主演俳優は、大友柳太郎、片岡知恵像、市川右太エ門、を中心に、嵐勘十郎、月形龍之介、岩井半士郎、山形勲、進藤英次郎、東野英治郎などなど、若手では、大川橋蔵、中村錦之介(後の萬屋錦之介)、伏見扇太郎、市川雷蔵などなどであります。
  •  中でもお気に入りが、大友柳太郎、片岡知恵蔵でした。
  •  「丹下左膳」大友柳太郎主演「鞍馬天狗」嵐勘十郎主演「多羅尾伴内」「遠山金四郎」「大岡越前」三本片岡知恵蔵主演「忠臣蔵」「宮本武蔵」「一心太助」二本中村錦之介主演「水戸黄門」月形龍之介主演などなどであります。ご高齢の皆さん、懐かしいでしょう。これらの映画が懸ると父からお声がかりがあるのであります。
  •  「陽介、映画へ行くか」
  •  出掛けて行くのは時代劇専門映画館『栄楽劇場』です。
  •  当時は、映画の黄金時代人口四万余りの田舎町に、洋画専門「平和劇場」、現代劇専門「三ツ丸劇場」と人口4万少しの町に三館も有ったんですよ。時代なんですよねぇ。
  •  切符を買って、入り口でもぎってもらって、左側に売店があります。そこが狙いです。
  •  先に行ってそこで待っていると父が来て、黙っていてもチョコレートが我手に乗ってくる、と云う寸法なのであります。黙ってチョコレートを手に乗せてくれた父に「ありがとう」と云って中に入る。思いドアを開けると、短いほんの短い通路があって右側と左側が重なっている黒いカーテン(今でもそうなんですね、表か裏かは分かりませんが、どちらかが黒で反対側が、濃い紫に成っている、件のカーテン、暗幕と云うのでしょうね)を開けるとそこが、撮影場です。
  •  ほど良い席を父が捜して座ります。
  •  いよいよ開演、いえいえ筆者は、開封です。
  •  フワーと香ってくる芳しきチョコレートの香りです。父が二つに割ってくれます。半分を私ににくれます。どうゆう訳かは、分かりませんが、この時ばかりは、半分ずつでした。何だかちょっと大人になった気分であった事を憶えています。
  •  今でも、筆者は、明治ミルクチョコレートを愛食しています。懐かしき古を思いながら・・・・・。

 

つるやの鮎もなか


※写真はイメージです。本文中に登場する「つるやの鮎もなか」ではありません。

  •  最近では、郷土に因んだ形の「もなか」が出ていますが、当時は、珍しいものでした。
  •  鮎の形の中に、緑豆のこしあんを入れたものであります。甘さを抑えたとても上品な味です。今でもお使い物に時々使っています。
  •  一寸した高級品でしたから、何時も食べるものではありません。外から来たお客さんに出す程度であります。外客が来た時がチャンスです。早くお客さんは帰らないかと待ちに待って、帰った後には客間に速攻、テーブルの前に並んで残った鮎もなかを狙います。
  •  一年に何度かの鮎狙い、鮎の解禁は長くありますが、この鮎狙いは、ほんの一時でありました。兄弟で幾つかに分けてほうばった頃が懐かしく思われます。

 

小北ベーカリーの甘食


※写真はイメージです。本文中に登場する「小北ベーカリーの甘食」ではありません。

  •  本町通りという商店街のほぼ中央部にありました。城跡の小学校のだらだら坂を下った処の小さな交差点の東側角にありました。ベーカリーと店名に入っている位ですから、全て手作り自家製です。何時も我が家にパンを届けてくれていました。中でも美味しいのがあんパンと甘食、皆さん甘食ってご存知ですか。
  • 直径7cm高さが3cm位ですか、丁度深手の洋食皿を、いやベク猪口をひっくり返した感じのしっとりしたパンと云うより焼菓子と云う感じの物でありました。と云うよりもマドレーヌを丸くしたもの。
  •  今でも神戸あたりを歩いていると、ベーカリーの店先に時々出ている事がありますが、あれでは無いんですね。
  •  あの時食べて以来、口にした事はありませんね。
  •  何かの都合だったと思うのですが、小北さんが店を閉められる時、我が家に見えました。
  •  そのせいなのか、甘食の思い出は、何か、さみしげな叔父さんの顔ばかりが浮かびます。
  •  ですから甘食も、さみしさをジーとかみしめた様な味が今でもしています。

 

その他にも、

  • ■ 駱駝キャラメル
    • キャラメル包みではなくねじり包みのキャラメルが・・・型の箱に入っています。キャラメルは四角形ではなくアーモンド形です。他のキャラメルよりも少し安かったと記憶しています。

 

  • ■ カバヤキャラメル

 

    • カバの形をしたバス型の車が宣伝車として使われていました。

 

  • ■ ラスク


※写真はイメージです。

    • 今で云うラスクではありません。乾燥させた小型の食パンにビスケットに付けてあったクリームを乗せたものです。固くて歯触りがあって噛み砕くとクリームの甘さが漂って来るもので、袋入りで売っていました。

 

  • ■ 銀装

    • 一言で云って高級品です。カステラは今でも銀装を食べています。

 

  •  これらのお菓子は、みなみな、思い出の味、記憶の味でありました。
  •  この他にも、おまけ付きグリコ、不二屋のミルキー、ヌガー、金平糖、八つ橋、などなどが、世の中の発展に合わせて数が増え、量が増え、少しづつ記憶の味を希薄にして来ました。
  •  今日では、美味しいと云われるお菓子は山ほどありますが、物語れるほどのものは少なく成ったと思うのが筆者の実感であります。

 

酢漬けげそ

  •  この味は、隠れて食べる駄菓子の味の最高峰ですね。ニッキ紙だとか、毒々しい着色クリームの乗った動物ビスケット、これは、みんなこの仲間で、ちょっと少年に成りかけた僕等の禁断のお菓子味なのであります。
  •  父親が、置き忘れた小銭をそっとポケットに入れて、こそっと駄菓子屋へ行き、親に内緒で、これ等の禁断のお菓子を買うのです。
  •  このスリル、少し罪悪感を秘めたドキドキの買い物であります。

 

風船キャンディ

  •  「五円の魅力、風船キャンディー」中学生時代の味であります。
  •  皆さんは風船キャンディー成るものをご存知ですか。文言通り、ゴム風船の中にキャンディーの原液を入れて凍らせたものであります。それも瓢箪が連なった様な風船にです。
  •  今ならなかなか保険所の許可の下りない代物であります。
  •  真夏の暑い盛り学校帰りに、帰り道にある牛乳店で買う五円の魅力、「たまりませんねぇ」
  •  其の牛乳店とは、市街地の裏側を走る用水路と本通りに挟まれた処にありました。
  •  本通りの店舗で買って路地を抜けて用水路に沿って設置されている幅80センチ位の裏道に出てそこを一列に並んで、話の都合で其々が後になったり先になったりしながら四、五人の仲間と家路に付くのでありました。
  •  どう云う訳か、味が覚えが無いのであります。冷たくて、素晴らしい味がしたはずなのでありますが・・・。きっと、冷たさが御馳走で、もともと味などそんなに自慢できる味では無かったのであろうと思います。友達の顔もあまり覚えていません。
  •  記憶にあるのは、五円の魅力とほてった体に涼感が走り抜けて云った事だけであります。きっとこの涼感こそが旨き味であったのであると思っています。

 

片抜きあめ、えびせん、コネ飴

  •  これは紙芝居ですよ。ですから小学生それも低学年でありました。
  •  幼年時から胃腸の弱かった筆者は、買い食いをする事は源に禁じられていました。当時のみんなの楽しみは、学校から帰るとお小遣いの五円を握って、駄菓子屋や当てもんやなどに、急ぎ掛け込む事でありました。
  •  それに、一週間に何度か来る紙芝居を見に行く事でした。「黄金バット」「脱線のデメチャン」「鞍馬天狗」「怪傑黒ずきん」などなどであります。紙芝居は、一度一完結ではありません。一話が何回かに分かれています。ですから一話を見ると続けてみないと筋が分からなくなってしまうのであります。紙芝居屋も良く考えていますね。
  •  筆者も楽しみにしていたのですが、正面切って行くことができなかったのであります。というのは、買い食いが禁じられていた筆者は、片抜き飴やえびせんやコネ飴を買う事が出来なかったのであります。ですから何時も横の方から遠慮がちに覗き見をしていたのであります。
  •  ある時、紙芝居屋のおじさんが、筆者に、近づいて来たのであります。
  •  私は、何時もただ見なので叱られるのかと思って後づさりをすると、おじさんは、ニコッと笑って私の手にに、片抜き飴を乗せてくれました。びっくりしていると、おじさんは、「いいからなめろ」と云って、紙芝居を始めたのであります。
  •  私は、恐る恐る、飴をなめてみました。甘ったるい舌触りと香りが口いっぱいに広がります、舌の先に片抜き飴の方の形が伝わります。
  •  紙芝居が済んだ後、叔父さんに、ありがとうを言おうと近づくと、おじさんは、何時でも見においでと云って、肩を叩いてくれたのを憶えています。
  •  きっとおじさんは、飴を買うお金がない、可哀そうな子だと、思ってくれたんでしょうね。
  •  残念ながら、その飴の形を貫くことができませんでした。
  •  そして、紙芝居を見に行く事は二度と有りませんでした。
  •  前述の通り、買い食いは固く止められていた訳で発覚すれば、打ち首獄門・・ですからね。「くわばらくわばら」と思ったんでしょうね。
  •  あの時の、味は、記憶の味と成りました。

  •  今、筆者のパソコンデスクの上には黄金糖。黄金糖が当時の思いを募らせてくれています

 

  •  続きはまた、次回の講釈で。



平成28年 6月23日猩々記 

 

 

 

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