京都弁護士会所属 田中彰寿法律事務所 京都の中堅・中小企業のための法律事務所

印刷用表示 |テキストサイズ 小 |中 |大 |

37.我懐かしき味の世界・
  わたしの思い出ご飯などなど (2/3)

 2016年第10号  - 猩猩 梅原 陽介 -


思い出の味が人生を育む

  •  季節と時代、そして人は、味の追憶を蘇らせるものであります。
  •  春には春の味、夏には夏の味、秋には・・・、冬には・・・、とある様に、今にして思えば古き良き時代を、いや悪しき時代をも、大らかに包み込み茫々として思い起こさせてくれのであります。
  •  今回は、筆者の懐かしき味として、今でも記憶に残っていると云うお話をさせて頂きます。
  •  味と云うものは、食した時には勿論のこと、誰もが舌で感じる味覚なのですが、記憶に残ると云うことでは、脳の問題に成りますね。つまり、「うまい」「美味しい」と舌で感じて、その「うまさ」「美味しさ」を脳が感じて、その感じた度合いで、記憶の引き出しに、しまわれていくと云うことであります。
  •  「うまい」とか「美味しい」という感覚は、味覚で感じ、その感じ度合いは、脳が記憶して行くのです。従って、「うまい」とか「美味しい」で始まった一品は、人生の一ページとして、記憶の引き出しの中に、収められていくのである。と、筆者は、考えています。
  •  それでは、今回も筆者の「我懐かしき味の世界」をご紹介していきましょう。

母の記憶の味(昭和24年~37年)

  • ばらすし


※写真はイメージです。

  •  我が家では、誕生日、お正月、お祭り、お盆には、ばらずしが出て来ました。
  •  どう云う訳かお皿に盛ってでてきます。どちらかと云うと中深の西洋皿、そう、カレー皿の様な皿でありました。そのくせスプーンでは無くお箸で食べるのでありました。
  •  それが美味しいんです。いろんな味がして、なんとも旨いのであります。
  •  ばらずしは、其々の家庭の味があって、筆者は、我母の作ってくれるばらずしが一番だと思っています。
  •  今でもばらずしを食べると当時の家族だんらんの時を思い出します。
  •  ばらずしを広辞苑で引くと、ちらしずしを見よと出ます。これは違っていますね。
  •  ご参考までに、ご紹介しておきます。
  •  ばらずしと云うのは、卵焼き、人参、椎茸、鯖、筍、鯛、荒野豆腐、干瓢、蒲鉾、烏賊、あなごなど味を付けて煮たもの、蒸したもの、焼いたものや旬の食材をを細かく刻んだり解したりして、酢飯に混ぜ合わせ、仕上げには、錦糸卵や刻みのりを乗せたものです。
  •  ちらし寿司とは、酢飯を持った上にすしネタの生の魚介類をきれいに並べて乗せ、仕上げに、錦糸卵や刻みのりやキュウリの薄切り茹でたきぬさやを乗せワサビを添えたもので、食べる時は小皿の刺身醤油に付けて食べるものであります。
  •  最近評判の海鮮丼と云うのは、普通のごはんにちらしずしと同じ要領でごはんの上に乗せて行く、時には、えびそのまま、カニの足、ウニをそのまま載せるなどの工夫がなされているものであります。筆者は思っています。
  • きゃべつとソーセージの炒め物


※写真はイメージです。

  •  これも懐かしい母の味です。学校から帰って来て、まだ食事の時間でない時や、昼食の時に急ぎテーブルにでて来るキャベツとソーセージの炒め物は、やっぱり忘れられない味であります。
  •  その場にあるキャベツを適当に刻んで、ペンシル型のウインナーソーセージを適当に斜め切りにとんとんとん。フライパンに入れて、さあっさあっさあっ適当に炒めてお皿に、返し入れするだけのものでありますが、シンプルイズベストの味でありました。
  • ヤクルト


※写真はイメージです。

  •  ヤクルトの製造発売がヤクルト株式会社として全国的に確立したのは昭和30年、筆者がヤクルトを口にしたのが小学校4・5年生くらいでしたから、当初に愛飲していたのであると思います。
  •  ある日母が
  • 「明日からこれを呑みなさい、身体に良いそうですから」
  • と云ってダルマ型のガラスの小瓶を渡してくれました。それがヤクルトでした。筆者は生来胃腸が弱く、何かに付けて、病院に云っていた事を憶えています。行き付けの病院は、広小路の高木小児科医院、でありました。
  •  ヤクルトは、そんな優しい母の愛情でした。と共に、あの濃厚な甘ったるさ母の味の一つでもありました。
  •  今は、プラスティックの容器に成っていますが当初は、分厚いガラス瓶だったのであります。ヤクルト社史によりますと様気が変わったのは、昭和43年とされています。その翌々年には、ヤクルトスワローズが誕生しているのであります。
  •  そのヤクルトも、小学生時代まで、中学に成るとヤクルトが、カルピスに変わったのであります。
  •  「初恋の味カルピス」
  •  カルピスが売りだされた時のキャッチコピーですよ。皆さんもご存じでしょう。あの水玉模様のあれですよ。

  •  友達が来ると、母が出してくれたのがカルピスでした。当時はまだ一般家庭で愛飲されているほど一般的ではなかったせいか、友達の評判は、上々でありました。
  •  みなみな、そんな年頃だったのでしょうね。今にして思えば、母や父の加護のもとで何不自由無かった時代だったんでしょうね。
  • 私の作ったぬか団子

  •  皆さんは「ぬか団子」なんてのは見た事も聞いたことむないでしょう。これは筆者のオリジナルであります。これは懐かしいと云うのか苦い思い出と云うのか?
  •  危うく一命を落としかねた・・・事件です。
  •  私は幼少の頃から胃腸の弱い子でした。
  •  その時も、お腹を壊して食事制限をされていたそうです。その時も大腸カタルに成っていたのです。お腹のすいた筆者は、台所へ行き、ぬか漬け用に置いてあった米ヌカに、水を混ぜて練って団子にして食べてしまったのであります。その団子の大きさも、タドンくらいの大きさ(直径6cmくらい)だったそうですから、そこそこ大きいものですよね。
  •  筆者に背を向けて台所仕事をしていた母が気付いたのは、筆者がほとんど食べ終わった頃であったそうです。
  •  「ぐえぇぐえぇ」と云う、異様音に気が付いて振り向いてみると筆者が手と顔をぬか団子でぬたくたにして、えづいていたそうであります。
  •  母は慌てて
  •  「これ、陽ちゃん何してるんや、何食べたんや」
  •  早々に、タクシーを呼び急ぎ病院へ運ばれて、もどすわ、くだすわの大騒動、死ぬ一歩手前くらいに成ったそうであります。以来筆者は、ヌカの臭いを鼻にするとえずきながら、懐かしくなると云う寸法であります。

  

八重婆ーちゃんの味覚え(昭和20年~25年)

  • 高菜の漬物


※写真はイメージです。

  •  これは、八重婆ちゃんの一品であります。酸味、塩味、かたさ、色、香りどれを取っても何処にも引けを取らない最上級品であります。少し黄金色の入った深緑、これは未だに以上のものを食した事がありません。漬物名人の八重婆ちゃんが自慢の樽から漬物を上げている時の姿が目に浮かびますね。
  •  着物に割烹着姿に袖タスキ、直径二尺五寸、高さ三尺五寸、上下と真ん中に竹で組み込んだ輪っぱがはまっています。色は、植物乳酸菌のしみ込んだ湿った黒茶、ほどほどに使い込んだ木樽から、先ずは、おもしの石をのけ、背の上った悪汁を些かすくい取り、下にある落としブタを取り、ころあいの高菜を見つくろってて鍋の中のざるにあげ、流し(今で云う台所)に持っていきます。
  •  台所と云っても、今のものとは大きく違っています。八重ばあちゃんの台所は、土間です。土間が概ね25畳~30畳


※写真はイメージです。

  • と、こんな感じです。
  •  件の漬物はと云うと、又、別に漬物小屋と云うものがあって、そこから出してくるのであります。
  •  そんなこんなで、さあぁと水洗いした高菜は、ここで、まな板の上に伸ばしおかれます。「トントン、ザクッザクッ、トントン、ザクッザクッ」そして鉢に盛られるのであります。
  •  八重婆ちゃんはその間、よく独り言を言っていました。
  •  「まあどうや、よう漬けっとるか」
  •  「ほらほらほら、よう漬っとるよう漬とっる」
  •  「ちょっとつかり過ぎかな」
  •  「あんたも上がんないな、さあえ」
  • てな調子で高菜の漬物と話すのでありました。
  •  そして、みんなで、箸を運んで「うまい」「おいしい」懐かしき情景でありました。
  •  時には、温かい炊き立てご飯を入れて高菜の葉に包んだおにぎりを作ってくれました。温かいうちより、少し冷えてからの方が美味しいのであります。
  •  細かく刻んで、ご飯の上に乗せて、八重婆ちゃん手作りの熱めの番茶をかけて、お茶づけにするのも又うまかったと記憶しています。
  •  今でも、高菜の漬物を、食べる時には、いつかの日の事を思い出しています。
  •  残念ながら、昨今の高菜の漬物は、塩辛いばかりで、味にふうみがありませんが・・・ね。
  • らっきょの酢漬け


※写真はイメージです。

  •  ラッキョウと云えば、鳥取、淡路。八重婆ちゃんのらっきょ漬けは、全て自家製、おじいちゃんと丹精していた畑に、前の年にとっておいた、らっきょの種苗を植えて収穫すると云うものです。
  •  酢と砂糖との配合は、八重婆ちゃんの秘伝、適当で云い様な気がしますが、そうではない様です。酸っぱさ、甘さ、らっきょ本来の苦さ、匂い。筆者は、とても愛食していました。
  •  今もラッキョウが好きですが、八重婆ちゃんのらっきょ以上のものに出会った事はありませんね。
  •  すいか、大グミ、くり、いちご、とまと、なすび、きゅうり、かぼちゃ、これらは全て八重婆ちゃんとお爺ちゃんの畑から獲れたものです。
  •  肥料は、油粕、鶏糞、貝殻、刈り草と牛フンのたい肥、が中心であったと思います。
  •  貝殻突きの手伝いをよくしたものです。熱い鉄板を土間に敷いて、面を取り、その上にセメントで出来た土管(ヒユーム管)立てて乗せ、その中に、貝殻を投げ入れます、そして太さが一握りほどの鉄の棒でトントンガチャガチャと砕くのであります。
  •  ほど良く細粉されると土管をゆっくりと倒し、その細粉された貝殻を一回目は、鶏のエサ箱へ、次の一回は、肥料袋に、地云った具合です。
  •  その手伝いが済むと、おじいちゃんが、その時々の、収穫物をくれたのだあります。大グミやトマトやスイカや瓜、そして茹で栗や柿でありました。決して、高価なものではありませんでしたが、丹精込めた収穫物は、思い出に残る、記憶の味でありました。
  •  これらの収穫物の全てが、今日美味しいと云われている物よりもはるかに美味しいと思うのは、物の無かった時、味覚への淡い郷愁とばかりではないと思っております。
  •  間違いなく、美味しかったのであると思っています。

 

父の思いがよみがえる(昭和28年~35年)

  • 清月のBランチ


※写真はイメージです。

  •  所謂ランチであります。ご存じの通りランチは、AランチとBランチがあって、Aが上と思いきや、Bの方が上等なのであります。父の大切なお客難が来ると昼食には、Bランチが振舞われるのが、我が家の決まりにようであった。
  •  その時に子供たちもお相伴にあずかるのであります。楕円形の大きな洋食皿に左上からキャベツもみじん切りサラダ、このサラダが美味しいにです、ジャガイモとリンゴと卵と人参ともっと何かは入っていたと思いますが、憶えているのは、人参に橙色とリンゴの何とも言えない甘酸っぱさをおぼえています。そして、大きなビーフステーキ、そして最もお待ちかねなのが、大きな海老フライ二尾であります。
  •  このエビフライが何んとも美味でありました。別付けのタルタルソースをたっっぷりかけて、口の周りを真っ白にして、口一杯に、ほうばるのでありました。一年に一、二度あるかないかの最高の晩さんであった筈なのですが、このエビフライの味が思い出せないのであります。
  •  思うに、口一杯にむさぼり食ったので味を味わう暇がなかったのかもしれませんね。
  •  今、覚えているのは、タルタルソースの味とサラダの味と、父親が賓客を迎える時のあの誇らしげで懐かしい、笑顔だけであります。
  • アメリカンキャンディ


※写真はイメージです。

  •  父親がと東京に出張に行くと嬉しい事がありました。それは何時もお土産があったのです。
  •  そのお土産と云うのは、縦横30センチ角、深さ5センチのブリキのカンカンと云うか箱でありました。蓋には、アメリカはニューヨークの町並みのカラー絵が描いてありました。きっとニューヨーク・・・・だったと記憶しています。たしか、エンパイヤステートデンビルディングが描いてあった記憶がありますから。
  •  ベティーやポパイの時も有ったと思います。
  •  今から考えますと、きっと父は、アメ横へ行って買ってきてくれていたのであろうと思っています。それはともかく、紙袋の中から出て来る待ちに待ったお土産は、ブリキのカンカンでありました。
  •  箱の周りには、紙のりテープが口の部分に一回り貼ってあります。今で云うセロテープであります。そのテープを裂けない様に剥がします。
  •  そのカン箱の中には、金紙や銀紙で包んだチョコ飴、虹色のセロファンで両端をねじり包んだフルーツ味のキャンディーがカン箱一杯に詰められていました。
  •  云ってみれば夢の玉手箱でありました。
  •  小さな手を差し入れて、手一杯に掴むと、ギシギシ、ガシャガシャと音がします。
  •  最高のぜいたくの音です。
  •  何とも言えない心地よい音です。
  •  そして、おもむろに、自分の好きなキャンディーを、一つ二つ三つと取り出します。そしてカン箱の蓋を閉める。一度開いたカン箱は、蓋が対角線に歪みます。それをうまくはめながら、カン箱に蓋をします。そして二度三度と箱の四隅を押すのであります。
  •  翌日学校に行くと仲良し友達にその旨を告げると、みんなは、かばんを置くのもそこそこに我が家に集まって、小さな両手を拡げて玄関に並ぶのであります。そうすると、母がその小さな両手にに一つかみづつの夢のキャンディーを乗せてくれます。
  •  何時もの悪たれどもがこの時ばかりは、しおらしい声で
  •  「おばちゃんありがとう」
  • と云います。
  •  今から思うと何とも微笑ましい場面であったと思います。
  •  思い出すのは、みんなの嬉しい顔、父の顔、母の顔どう云う訳か自分の笑顔も思い出します。本当に何も無い時代でしたからねえ。

 

鈴子叔母の思い出(昭和37年~38年)

  • カリフラワーのボイルと小さなエビフライ

 
※画像はイメージです。

  •  その日は、天王寺公園内にある市立図書館で時間を過ごしていたので、予備校から帰ってくる時間が遅くなりました。「ただいま」「お帰りの」言葉の後に「陽ちゃんご飯が出来てるよ」早々に手を洗って食卓に付きました。
  •  その頃、筆者は浪人をしていました。小母さんのところにご厄介になっていたのであります。
  •  今から考えるとよく私を受け入れてくれたものだと感謝を致しております。育ち盛りの子供三人と筆者、とても今の筆者の事を考えると感謝に堪えません。
  •  そんな食卓に現れたのが、白い小さなぶつぶつの塊が大皿の上のこんもりと盛りつけてあったのです。
  •  「小母さんこれは何ですか」
  •  「しらんやろ、カリフラワーゆうんやで」
  •  「これは野菜ですか、何ですか」
  •  「野菜やで、茹でてなマヨネーズを付けて食べるんやで、けっこう美味しいんやで」
  •  「へえー、カリフラワーですか・・・」
  •  「ほら食べてみないな」
  •  「はい」
  •  筆者は、恐る恐る、箸を出し小皿に出してあったマヨネーズを付けて食べてみると、茹でた生温かさがマヨネーズの香りを引き立たせ、ゴリゴリと云うのかサクサクと云うのか何とも初めての食感でありました。
  •  初めは違和感がありましたが、食べているうちにいつの間にか虜に成ってしまいました。時々リクエストを出しておねだりをしたものであります。
  •  その時付いていたのが、エビフライでした。我が家では、日本料理が中心の食生活でありましたのでエビフライは、一年に一度か二度のBランチの味が、エビフライの味であると思っていました。
  •  ところが、叔母の作ってくれたエビフライは、姿は小さいのですが、味が違いました。タルタルソースの味ではなく、エビの味がしたのであります。
  •  あぁこれがエビの味なんだ、ここで認識したのであります。
  •  つまり、Bランチの味は、タルタルソースの味だったようですね。
  •  でも思い出の味であったことは確かであります。

 

  • オムライス

  •  正直、筆者は、この時までオムライスと云うものを、正直食べた事がありませんでした。オムライスが出て来た時には、ビックリしたと云うのが本音であります。何処かの洋食屋さんのサンプルウインドウに飾ってあるのを見たのでありましょうか。
  •  いずれにしても、オムライスが出された時には、どこから手を付けて良いものかと考えたくらいであります。
  •  ようやく人の食べ始めるのを盗み見して自分も手を付けた、と云う次第であります。
  •  あっそうそう、これが何処だったかを言うのを忘れていましたね。
  •  これは、叔母が作ってくれたのであります。
  •  確か筆者の誕生日に作ってくれたのだと記憶しています。真っ黄色の若草山の上に真っ赤なケチャップをたっぷり乗せてかケチャップの真ん中にスプーンを入れるとケチャップが中に垂れ込んでフワッと立つ湯気と一緒に、そっと口の中へ。
  •  「うまい。」

  •  今でもこの時の味は、不安定な浪人時代の記憶と共に、青春の1ページと成っています。

 

  •  続きはまた、次回の講釈で。



平成28年 7月4日猩々記 

 

 

 

▲ ページトップへ