京都弁護士会所属 田中彰寿法律事務所 京都の中堅・中小企業のための法律事務所

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38.我懐かしき味の世界・
  わたしの思い出ご飯などなど (3/3)

 2016年第11号  - 猩猩 梅原 陽介 -


思い出の味が人生を育む

  •  季節と時代、そして人は、味の追憶を蘇らせるものであります。
  •  春には春の味、夏には夏の味、秋には・・・、冬には・・・、とある様に、今にして思えば古き良き時代を、いや悪しき時代をも、大らかに包み込み茫々として思い起こさせてくれのであります。
  •  今回は、筆者の懐かしき味として、今でも記憶に残っていると云うお話をさせて頂きます。
  •  味と云うものは、食した時には勿論のこと、誰もが舌で感じる味覚なのですが、記憶に残ると云うことでは、脳の問題に成りますね。つまり、「うまい」「美味しい」と舌で感じて、その「うまさ」「美味しさ」を脳が感じて、その感じた度合いで、記憶の引き出しに、しまわれていくと云うことであります。
  •  「うまい」とか「美味しい」という感覚は、味覚で感じ、その感じ度合いは、脳が記憶して行くのです。従って、「うまい」とか「美味しい」で始まった一品は、人生の一ページとして、記憶の引き出しの中に、収められていくのである。と、筆者は、考えています。
  •  それでは、今回も筆者の「我懐かしき味の世界」をご紹介していきましょう。

我女房殿自慢の思い出

  • 巻きずしの巻


※画像はイメージです。

  •  家内の作ってくれる巻きずしは筆者の大好物であります。具に入っているのは、甘辛く煮付けた椎茸、煮しめた高野豆腐、吟味して買ったこだわりの沢庵、自分で味の確認をして買っている鰻のかば焼き、新鮮な胡瓜、米も指定のお米、肝心の海苔は・・・海苔、を使った、こだわりの巻寿司であります。
  • 「うまい」
  • の一言。
  •  これをご近所、親愛なる友におすそわけするのも御馳走の内。経費のかかるのが玉に傷。

 

  • コロッケの巻


※画像はイメージです。

  •  どう云う訳か我が家のコロッケはうまい。
  •  一度、すし屋のご夫婦とコロッケだけで、深夜まで飲んだ事があります。すし屋の御主人曰く「飽きない味や、これはうまい」でした。

 

  • 我が家のおせち(御節)の巻


※画像はイメージです。

  •  家内の作るおせちは、料理人も玄人はだしと誉めてくれるほどのおせちを作ってくれました。
  •  伊勢海老始まって、縁起物が揃います。コブ巻、蒲鉾、ごまめ(田づくり)、黒豆、くわい、れんこん、伊達巻、数の子、菊花蕪、栗きんとん、えび芋。その他に、食しておいしいものとして、琵琶湖のもろこ煮、肉のしぐれ煮、車海老、千枚漬け、たたき五榜。
  •  昨今は、必ず食べるものである、と云う訳には行きませんが、お正月と云えば、やはり御節でしょう。

 

  • くぎ煮の巻


※画像はイメージです。

  •  釘煮と云うのは書きて字の如し、出来あがったものがまるで錆び釘の様を呈している事からであります。綾部時代にも毎年釘煮は煮付けてくれていました。
  •  ここ姫路は違います。
  •  何と云っても本場ですから、買いに行くのは筆者の仕事であります。驚いたのは、いかなご開襟の日は、筆者の知っているだけでも売り場は6店その売り場には何処も長蛇の列、しかも買って行く量が半端ではないのであります。
  •  多い人は、十パックと云う事は、十キロと云うことであります。
  •  奥さんこんなに沢山、お商売ですかと聞いてみると
  • 「いやいや、皆待ってるから、娘のとこ、親戚、知り合い、友達がな皆待ってるんや」
  • と云うことであります。
  •  これで驚いていたら、筆者もシーズンは、1週間くらいですが、その間は毎日いかなごを求めて流浪の民、結局気が付けば、負けないほどの量、いやいや、これはこれはと思いきや、造るは送るはお手伝い方の方は大わらわになります。その上に、醤油、味醂、砂糖、生姜、其々にこだわりと好みがあります。かといって文句は言えないのであります。
  •  それは、味であります。
  •  本場姫路のどの店の味、形どれをとっても引けを取らないどころか、ぶっちぎりで「うまい」であります。これには筆者も、感心すると同時に、自慢の種に成ってしまいました。

 

  • 黒豆煮の巻


※画像はイメージです。

  •  黒豆の煮ものは、筆者は、三代目であります。
  •  八重ばーちゃん、母、家内、この中で一番美味しいのはと聞かれたら、申し訳ありませんが、我細君であります。
  •  しわが無い、ふっくらとしている、てりが良い、噛んだ時にもっちりしている、後味が爽やか、などであります。この五点は、黒豆煮の最高条件なのであります。その全てが揃っています。その上、成功率が凡そ95パーセント以上。
  •  それには、豆は、丹波篠山産の直送品、醤油は、龍野のうまみ醤油、鉄錆の鉄塊それも大きく無く小さくなく、煮る量にあったもの、であります。

 

  • ちりめん山椒の巻


※画像はイメージです。

  •  流石にちりめん山椒は難しい、じゃこは出来るだけ小さく、大きさが揃ってる、新鮮でなければなりません。
  •  山椒は、出来るだけ小粒で風味のあるもの、つまり香りのよいものとする。これが細君のちりめん山椒作りの基本、ですから、品揃えが大変であります。 

 

  • カキの佃煮の巻


※画像はイメージです。

  •  カキの佃煮は、姫路に来てからでありますから、最も最近の味と云う事に成りますね。
  •  カキは、御津のもの、醤油は、龍野のうまみ醤油、カキは、その日の朝に取ったもの、従って、カキの佃煮をする時には、前日に電話予約をして、朝に取りに行き急ぎかえって、仕込みに入る、といった具合であります。
  •  それだけに味は絶品三国一であります。と筆者は思っています。

 

  •  何れも、「うまい」の一言の絶品なのでありますが、困ったことが一つ、正直、高く付く事です。併せて、自分の納得の味が出せない時は、ご機嫌が、些か斜めに成ってしまうと云う事なのであります。
  •  筆者にとっては、間違いなく「うまい」のですがねぇ。

 
  

その時々の思い出の味

  • 「ぼてじゅう」のお好み焼き

 
※画像はイメージです。

  •  当時彼女とデイトの度によく行きました。
  •  戎橋商店街と心斎橋商店街との間にあるのが戎橋。なんばから来て戎橋を渡ったところを右へ折れ、50メートル程行くと、左手にあるのが、「ぼてじゅう」の看板三階いや五階建てだったかな、二人で行くのは、何時も一階でした。
  •  心斎橋通りでは、しなかった香りが通りを右の曲がったと同時に漂ってきます。「ぼてじゅう」の香り、匂いですよ。甘いと云うか、香ばしいと云うか、独特の臭い、ソースとマヨネーズケチャップの程好く焼けて行く臭い、あれですね。店によって違いますが、ここでは、「ぼてじゅう」独特の臭いであります。
  •  彼女は、今で云うモダン焼きとか、ミックスだとか、イカだのエビなど、カキなどが豪華に乗せられたものが好きでした。筆者は何時も、焼きそばか、豚玉でした。焼うどんもそうでした。
  •  それを食べて、少し通りを言ったところに、スワンと云う純喫茶がありました。
  •  そこでコーヒーを飲み、なにやかやと話をして、彼女の自宅まで送り届けるのが常でありました。それから筆者は、京都は嵐山へと帰路に付くのでありました。
  •  今から考えるとすごいですね、若いと云う事は、こう云う事なのですね。
  •  その彼女、それが今の筆者の細君であります。あれから50年、「ぼてじゅう」の味、忘れられないホロ苦き味であります。
  •  後に何度か「ぼてじゅう」の看板の上っている店に行きましたが、あの味に会った事は一度も有りません。
  •  筆者が変わったのか、それとも店の味が変わったのか、いずれにしても、あの香りと町並みは、ありません。
  •  若き時代の、人生の1ページを物語る味でありました。

 

  • 「すし宗」の魬握り

 

  •  このすし屋は、近鉄大阪線の北田辺駅を駒川に向かって歩き、初めての踏切を左に曲がり、百メートルばかり行ったところの右角にありました。角地の店なので、角の字に暖簾が懸っています。紺地に白い染め抜きで「すし宗」と有り、カウンターが角の字にあり二十人ばかりカウンター椅子席のある店でありました。
  •  そこに連れて行ってくれるのは、西垣丈人と云う浪人時代からの親友であります。
  •  初めて大阪と云う都会に出て、不合格と云う悲嘆の日々、誰ひとりとして知る人の無い日々、予備校で初めて声をかけてくれたのが、彼でした。以来、彼との親交は、今も続き時として祝杯をあげ近況を語っています。
  •  「すし宗」のビックリは、味はもちろんの事、ネタの大きさであります。
  •  例えば、はまちなら、4センチあるなしのシャリに、三、四杯くらいの大きさのネタが乗っています。時々、ネタの大きさが売りのすし屋がありますが、あれはネタが大きいだけ、「すし宗」の握りは、ネタよし、シャリよし、威勢良し、すし屋の三種の神器が揃っていました。
  •  筆者が好きだったのは、魬(はまち)でありました。ゲソでありました。ヒラメでありました。大体三貫から五貫でお腹は、充分、彼と二人でビールをぐびぐびと行きたかったのでありますが、初めて連れて行ってくれたのは浪人時代で18歳、、ぐびぐびと云う訳には行かず、あがり、でパクパクと云ったところでありました。
  •  浪人時代は、瞬く間に過ぎました。
  •  彼は、K大とD大三学部合格しました。彼の希望は、大学でフィールドホッケーをしたいと思っていましたので、D大を選択しました。筆者は、第一志望の国立一期を不合格、もう一年と思ったのですが、事情が許さずK大の法学部に収まる事と成ったのであります。
  •  その後も何回か、連れて行ってくれましたが何時も満足して帰ったものです。勿論その時はぐびぐびとやりながらであった事は、当然のことであります。
  •  今でも、すしを食べるとその時の話をするものですから、家内にとっては、今や耳タコに成って居ると思います。

   

  • 「八新」の焼き肉


※画像はイメージです。

  •  「八新」と云う店は、京都駅の南側東寺の、五重塔を右に見ながら国道一号線を越えて、少々南に入ったところにありました。
  •  この店は、韓国人がやっている本場もんの、焼肉でありました。
  •  ここへはよく本間さんと行きました。本間さんと云うのは、筆者が生コンの骨材の商社に在籍していた時に出入りしていたダンプ屋さんです。
  •  ダンプ屋と云うのは、ダンプカーを何台か揃え、骨材を運搬する事を生業としています。本間さんは、本間建材と云う社名でダンプカーを、雇車も入れて二十台ぐらい擁している、当時の業界では大手であります。
  •  ダンプカーを一日に三回から五回往復させて、ハマと呼ぶ、骨材を生産している現場から生コン工場へ、砂利、砂を運搬するのです。
  •  ダンプカーは、当時はほとんどが四トン車、六トン車は、全体の三割、八トン車が二割くらいでしたが、一年もすると、六トン車が七割十トン車や十一トン車がどんどん増えて今の様な、ダンプカーの世界が出来あがって来たのであります。
  •  運転手のほとんどが出稼ぎの人達でした。どう云う訳か、九州からの出稼ぎが多かったと記憶しています。その他には、在日韓国人、その中で頭角を現してきた人たちが親方、所謂、車を何台か持ち商い高を上げていったのであります。
  •  この現象は、万国博覧会を始まりに、急激に生コンクリートの需要が増加し、それに連れてダンプカーも増加して来たのであります。ダンプカーの話はこれくらいにして、「八新」の話に戻りましょう。
  •  「八新」の肉は、新鮮で品質が高い、それにたれの味付けが最高でありました。何の云ったらいいのか、甘くて、辛くて、酸っぱくて、コクがあって、後味が良く、さっぱりしています。
  •  今までに、何減となく焼肉屋に出掛けましたが、未だに「八新」以上の味に出合った事はありません。
  •  カニコロッケなるものを始めて食したのはこの店であります。小ぶりな俵型おにぎりを思わせるカニコロッケの形状。
  •  この姿を始めてみた時は、なんと小さな、けちったコロッケ、筆者のコロッケ常識辞典の中には、コロッケとは小判形で厚さは1センチ5ミリと思っていたのですが食べてみるとなんとなんと、そのクリーミーな事、クリーミーが口いっぱいに広がって、うまいの一言心の叫びを自らが聞いた様な気がしました。しかし今から考えてみると、カニの味は、記憶にありませんでしたね。
  • 橋亭の焼き肉


※画像はイメージです。

  •  続いても焼肉なんですが、「八新」のそれとは違う味です。今で云うステーキハウスの味ですね。それが「橋亭の焼き肉」です。
  •  「橋亭」変わった屋号でしょう。東山通りを突きあたり北山通りを右折400メートル程行くと岩倉へ抜ける峠道と云うより、国際会議場へ行く道があります。そこを左折して150メートル左手にあるのが「橋亭」。
  •  「橋亭」とは、皆さんご存じの銭形平次、かの新吾十番勝負の新吾、と云えば大川橋蔵さんがオーナーの店、従って橋亭と云うことであります。
  •  ここのステーキは、絶品でありました。何と言おうかの話では、とにかくうまかったということです。
  •  美味しいと云う言葉ではなく、うまいと云うものでした。
  •  うまいと美味しいとはどう違うのか、美味しいとは、言葉表現の最高級、うまいは、心表現の最上級と云ったところではないでしょうか。
  • 「たんたか」の蕪蒸し

 

  •  最後は、「たんたか」の蕪蒸し、他に出される料理のうまき事は、勿論でありましたが、大将の客迎えからがうまい、美味しいのであります。
  •  木屋町を御池通りから入って、250メートル右に高瀬川をみて左側に小さな石造りの行灯形の店印一間半ほど奥まって、桧造りで左開きの格子戸を開けたところは、半間おいての黒壁、その黒壁に幅2寸5分、縦1尺ほどの小窓がありますその小窓からは、板場がチラリと・・・・。左ご厨房、右がカウンターと椅子席の裏側に通路があって右側に小上がり奥に向かって並んでいる。と云った、店づくりであります。
  •  何処がうまいか美味しいか、先ずは、玄関から、繁華街の店ずくりは、通りぎりぎりに玄関を儲けます。これは、地価が高い地云うのが第一の理由でしょう。木屋町の一等地に、広さ三畳ほどとはいえ石畳を設えると云うのは、なかなかの勇気であります。
  •  注目すべきは、入ってすぐある、衝立様の黒壁と小さな小窓、これがなかなかであります。中に入ってカウンターに座るとその訳が分かります。
  •  カウンターに座ると、普通の店では、店主は、中央か奥、「たんたか」では、大将が入り口です、つまり左端に大将が陣取っているのであります。
  •  理由は、大将が前鏡である時顔をよ家に向けるとそこに縦長の小窓が設えてあると云うことであります。つまり、入局を大将が最初に確認し「いらしゃいませ」の挨拶をすると云うのです。その為の縦長の窓でありました。前かがみの立ち姿勢から顔を横に振って顔を上げるまで全てに視線が行き届くと云う事なのであります。
  •  そして、「ようおこし」の声掛けがあって、おしぼりが運ばれ、先ずけが出てきます。その間に、大将は、注文を聞きながら、今日の一品のお品がらを説明し、一言二言世間話を交えます。客は、先付けに手を伸ばしながら、ビールを飲み、のどの渇きを潤し、気持ちをホットさせといます。そして料理へと・・・。
  •  客から、「お勘定」とか「おあいそ」との声がかかると、手早く計算が始まります。勘定は大将はしません。女将さんか娘です。その間、大将は、世間話を二言三言、勘定が済むと大将はその場で頭を下げます。
  •  見送りは、玄関度を開けたと同時に、「ありがとうございました」の声が厨房から聞こえます。外まで、仲居さんか娘か女将さんが見送りをしてくれます。
  •  こんな全てが『たんたか』の味なのであります。

 

  •  他にも、「亀甲屋」「伊万里」「西条」などなど沢山の思い出を頂きました。
  •  いずれにしましても、筆者の京都時代の懐かしき味の記憶であります。

  

  • 「天松」のてんぷら・「長谷川」のうな重・「吉葉」のちゃんこ・「はんなりや」の京惣菜・「みの家」の桜鍋


天松 渋谷本店(現在は移転)

  •  道玄坂三差路の角にあるてんぷらの専門店です。縦長の5階建てのビルの3階までが店舗の様です。
  •  この店へ初めて行ったのは、取引先の部長さんに連れて行ってもらったのが最初でした。
  •  てんぷらのコースを目の前で食材を選択しその食材をこれまた目の前であげてくれるのであります。「ピチッピチッ」「シャッシャッ」「カサッカサッ」と順次てんぷらが上がってきます。アツアツをしゃくしゃくもぐもぐと、ほうばる時は思わず言葉少なに成ってしまいます。なかなか名のあるてんぷら屋さんの様で、ある時などは、世界のロックジャズアーティスト・・・と同じ席に成った事も有りました。
  •  筆者は余りてんぷらは得意ではありませんが、「天松」のてんぷらだけは、逸品であると思っています。
  • 東京に出掛けた時は、ここ「天松」か、日本橋三越の前の信号を渡って商店街の二つ目の路地を入って最初の路地を左に曲がったところにある京料理割烹「はんなりや」で食事をするのが常でありました。

 
京の馳走 はんなりや

  •  その他は、日本橋交差点から少し入った処の「長谷川」と云ううなぎや、両国は国技館の近くにあるちゃんこ料理の「吉葉」、この店は、往年の名横綱吉葉山の店でありました。店の真ん中が土俵で回りの大型座卓が客席に成っているという贅沢な作りでありました。
  •  深川森下駅から200メートル行かずとも左手にあるのが、桜なべ「みの家本店」であります。

 
桜なべ みの家 本店

  •  玄関はと云うと、畳三枚を横に並べた程の玄関と云うよりも靴脱ぎ場と云った感じであります。そこを上がるとすぐ座敷、真ん中を広く開けてコンロ付きの座卓は、部屋の両端へ、普通なら壁の筈が背に当たる部分は、床から尺五寸ほどの処には、ガラス戸がはまった小間障子、その外は、廊下がはしっているのであります。
  •  いきおい慣れた客は、部屋に入らず廊下から小間障子をまたいで席に付くと云う寸法であります。
  •  これだけで下町の威勢の良さが伝わってきます。
  •  粋でいなせな桜なべやであります。
  •  私はここの味が好きでありました。他にも一度出掛けた事がありますが、やっぱり、筆者の思い出の味は、信州出身のみの家の桜なべでありました。
  •  東京に、桜なべ屋は、何軒あるんでしょうかねぇ。最近はブームでしょうか、随分とある様な気がします。
  • これらが、筆者の記憶に残る東京の味であります。

 

  • 「竹扇」の鮎のせごし


※画像はイメージです。

  •  筆者の故郷綾部にある割烹料理の店「竹扇」。
  •  綾部駅の南口を出て左に道を取り、信号を一つやり過ごし次の三差路を再び左に、そして200メートル、左手あるのが「竹扇」玄関の左側に大きな藍染の壺があり、その壺には、白文字で竹扇と記してあります。
  •  筆者が綾部時代には、週に4日は通う常連でありましたが、バブルの時代以降、客筋が変わってしまいました。土建業の客が増えて来たのであります。現場作業の人達が増えて濃い味を求めるようになり、だんだん筆者の足は遠のいて行きました。
  •  カラ上げの味付け、出し物の出汁、付け汁、煮物、焼き物多くの料理の味付けが変わってしまいました。
  •  そんな中で、変わらないのが、5月から6月の鮎の背ごし、11月から2月のカワハギに薄造り、これは、味の変えようがなく絶品でありました。
  •  鮎の酢味噌もカワハギのポン酢も自家製ですから、お店主のこだわりがあったんでしょうね。

  

  • 吉野の柿の葉ずし本舗「たなか」

 

  •  筆者はこれでも大峰山に三年山入りさせて頂いております。大峰講に三回参加させてもらったという事です。ご存じだと思いますが、各地に大峰山に山入りする大峰講と云うものが、おそらく関西一円に数多くあろうかと思います。
  •  斯く云う筆者も、この大峰講で先立ちを勤めていた、友人から誘われて、泣く泣く出かけていったのであります。と云うのは、筆者は、乗り物酔いが激しく、自分でこんな川柳を作って旅行の誘いを断っているのであります。
  • 「陽ちゃん殺すに、刃物はいらぬ、バスの二分も乗せりゃいい」
  •  大峰講と云うのは、大峰山信仰の大衆布教の手立ての様なものであります。かといって、俗に云う宗教団体ではありませんし、登山したから信者と云うものでもありません。
  •  行者講とは、大峰信仰の信者の皆さんが、日本古来の素朴な信仰心を束ねているものであります。御本尊は「役小角(えんのおづの・おづぬ・おつの)」。講に参加する人も、大峰信仰のある人ばかりではなく、大峰山に登って、幾つかの業場を経験して、心身を清めるものであります。
  •  役小角と云うのは、生まれた年も、没した年も、不詳とされているものもあれば、舒明(じょめい)天皇6年(634年)に、大和国葛城上郡茅原、今の奈良県御所市茅原に生まれ、父は、出雲から母白専女に入り婿した大角とされ、幼名は小角・金杵麿とされているものもあるとされております。
  •  この様に、生没も明示され、親の姓名も確かである訳ですから、不詳と云う事は無いと、筆者は、考えております。
  •  角氏と云うのは、大和国、河内国に拡がっていた氏族で三輪氏に属する地祇系氏族とされていますが、筆者にはよく分かりませんので、興味のお有りの方は、深識して頂きたいと思います。
  •  17歳にして、元興寺で孔雀明王の呪法学び、その後、金剛山、大和葛城山で山岳修行を経験した後、熊野、大峰の山々で更なる修業を重ね、吉野の、金峰山寺で金剛座王大権現を感得し、修験道の基礎を築いたのであります。
  •  尊称として役行者・投優婆塞と称されています。又、神変大菩薩と云う「謚(し)号(おくりな、功績を讃えて死んだ人に付ける名)」が付けられております。
  •  大宝元年(701年)に箕面の天上ケ岳にて、享年68歳で入寂したと伝われています。そんな役小角は、今では、山岳修行者所謂、山伏の元祖と考えられております。
  •  飛鳥時代から奈良時代に生きた実在の人物でありますが、人物像としては、後世の、伝説や逸話が混在しており、それがまた、歴史ロマンを作っているのでしょうね。
  •  筆者がお世話に成ったお講は、吉野と洞川(どろがわ)とを交互に登山口、下山場所としていました。吉野には、前述の、金峰山寺蔵王堂があって、蔵王権現像が祀られています。
  •  又、洞川には、洞川温泉があります。
  •  吉野は、夏の大峰山登山よりも春の桜見物「千本桜」が有名ですよね。
  •  その吉野の本通りにあるのが、柿の葉ずし本舗「たなか」であります。初めて食べた時のあのうまさは今でも忘れませんね。あの鯖の薄切りの塩加減とご飯の甘酢の絶妙のバランス、本当にうまかった。
  •  皆さんご存じでしょう、今は、鯖、鯛などがネタに成った押し寿司ですよ。柿の葉っぱで包んだ、あれですよ。
  •  前夜の0時に出発して、早朝5時に到着、入山の用意をして、入山開始。下山は、午後3時半から4時頃、ひと風呂浴びて夕食に付く、その後で食べた柿の葉ずしでありましたが、とても味が鮮明でありました。
  •  以後、京都から新幹線に乗る時も、お土産をデパートで買う時も「たなか」の柿の葉ずしを買っていましたが、残念ながら、あの味は・・・。味わうことはできませんでした。
  •  今でも、時々あの時の味を思い出して買い求めますが、二つ三つ食べたら蓋を閉めてしまいます。
  •  今の味は、当時を思い起こさせてはくれません。
  •  そんな懐かしくも、記憶に残る味でありました。

 

  •  食べ物の味と云うのは、不思議なものですね、食べたその時どんなに美味しいものであっても、食したその時に物語が無ければあまり覚えていないのです。
  •  思わぬ人に出会ったとか、印象に残る会話があったとか、ほかにも・・・。
  •  そんな物語と、その時食した食べ物と、その味が混然として、強く印象に残り、脳裏に刻み込まれ、走馬灯の一コマ一コマに成っているのでしょうね。
  •  だから、何十年経ってもその情景が、昨日の様に浮かんでくるのでしょうね。

  •  などなどが筆者の思い出の味ですが、みなさんは如何でしょうか。
  •  きっと皆さんにも「思い出の味・ご飯などなど」がある筈です。
  •  思い出してみては如何でしょうか。
  •  思い出す都度に、その時々の思い出がよみがえってくると思いますよ。
  •  懐かしい時の香りを乗せて・・・。

  


平成28年 7月24日猩々記 

 

 

 

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