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39.辞世の句 第1集(全4回)

 2016年第12号  - 猩猩 梅原 陽介 -


  •  今月はお盆、因んで辞世の句を読んでみたいと思います。
  •  故人は、辞世の句をよく詠んだようであります。取り分け武人、文人、貴人、等などは、好く詠んだようであります。
  •  有名なところでは、
  • 石川五右衛門(1558~1594)詠

「石川や、浜の真砂は尽きるとも、世に盗人の種は尽きまじ」

 おれを処刑したところで、この世がこんなんじゃあ、盗人なんざあ、無くなりはしないぜえ

  • といったところでしょうか。

 

  • 徳川家康(1542~1616)は、

「先に往く、後に残るも同じ事。
            連れて逝けぬを、別れぞと思う」
 
 今、余は死に赴く。
 今は、生き残ってあるそなたたちも、やがては、死んで逝く。諸行無常とは、そういうものである。
 皆の者いざさらばじゃ。余は今、そなたたち家臣を、死出の道ずれ(殉死)にしようとは思わぬ。

  

  • 豊臣秀吉(1536~1598)は、

「露と落ち、露と消えにし、わが身かな。
             難波の事も、夢のまた夢」
 
 わしは、野の露のように、この世に生れ出で、また今、露のようにはかなく消えていこうとしている。
 人の生き死にとは、これほど頼りなきものなのか。
 今にして思えば、大阪城での栄華の日々は、夢のまた夢であった。人生如夢とは、この事よのう

  

  • 伊達正宗(1567~1636)は、

「曇りなき、月の心をさき立てて、
             浮世の闇を、照らしてぞ行く」
 
 先の分からない戦国の世を、月の明かりを頼りにして、生きるて行くが如く、自分が信ずる道を、ただひたすら歩んできた。
 それが私の、生涯である。

  

  • 明智光秀(1582~1582)は、

「順逆に門なし、大道心源に徹す心知らぬ人は、
         何とも云わば言え、身をも惜まじ、
                     名をも惜まじ」
 
 反逆する事も、従順に従う事も、どちらがどちらと云うことはない。
 私の本心を知らない者は、何とでも言えば良い。
 私は、私なりに信じる道を、今日まで堂々と歩いてきた。
 生涯を掛けた夢は、今覚めた。
 私は、身も名誉も惜しくはないのだから・・・。

  

  • 細川ガラシャ(1563~1600)は、

「散りぬべき、時知りてこそ世の中の、
              花も花なれ、人も人なれ」
 
 散り時を、心得てこそ、花には花の神々しさや可憐さがあり、人には人の温かさや情の深さがある。
 だからこそ、それぞれの進むべき道があるのでしょう。

  

  • 上杉謙信(1530~1578)は、

「一期の栄は、一杯の酒。四十九年は、一睡の間。
 生るを知らず、また死も知らず、
 歳月ただこれ夢の中の如し」
 
 栄ある時は、盃に注いだ一杯の酒の様なものである。
 傾ける間に飲み干してしまう。
 わしの四十九年と云う歳月にしても、一睡の夢の間に過ぎてしまった。
 臨終を迎えて思うに、栄枯盛衰なるものとて、もはや、夢の中の出来事に等しいではないか。

 

  • 武田信玄(1521~1573)は、

「大抵は、地に任せて肌骨好し、紅粉を塗らずして自ら風流」
 
 生きると云う事は、世の中の流れに任せるものである。
 世の習いに身をまかせながら、その中で、自分を見出し、死んでいく。
 見せかけや誤魔化しで、生きてはいけない。
 本音で生きる事、その事こそが最良で、一番楽な生き方なのである。
 されば、皆思うに生きよ。

 

  • などは、皆さんの知るところでありましょう。
  •   
  •  小拙も因んで、恥ずかしながら詠んでみたいと思います。
  •  お目汚し、お気持ち汚しかとは思いますが、心あらば、お目通しをお願いするものであります。
  •  先ずは、「花は花なれ、人は人なれ」崩し、四句から・・・。
  •  前提は、小拙が八十歳まで生きた、としてであります。
  •  従って、八十句まで詠めれば「黄泉(読み)止め」としたいと思います。
  •  併せて、句と云うよりも詞が多くなりましたので、敢えて、句詞(くことば)と致しました。
  •  さあ、1句詞目からのお目通しを・・・・・・。

  
■1句詞

「我を通し、意を以ってした幾星霜、
         ご恩を受けし友恩幾人、
            花は花の時に、人は人の時に」
 
 自分の考え一つで、ここまで生きてきましたが、この齢に成って考えてみると、誰、これ、それと、多くの皆さんにご厄介になって来ています。
 友の恩、近隣の恩、親戚の恩、兄弟姉妹の恩、ましてや、親の大恩、先祖の大恩、今は無くとも・・・。
 人皆、其々の生き方を、大切に生きてほしいものであります。

 
■2句詞

「時として、ご恩を受けし、友恩幾人、
              花には花の、人には人の」
 
 長く生きておりますと、何かに付けて、人の恩に縋って、生きているものであります。
 其々の皆さんも、其々に生きながら、其々の恩を感じて頂きますように。

 
■3句詞

「現世(うつしよ)を、詞(ことば)語りて、幾星霜、
      受けしご恩は我心、花には水を、人には垂頭を」
 
 その時、その時を、自分の生き方で生きてきましたが、つらつら考えてみますと、なんと多くの人達に、ご厄介になった事でしょう。
 今となっては、心の中でお礼を言うより仕方がなくなってしまいました。
 花には水を、人には、頭(こうべ)を垂れたい気持ちでありますよ。

  
■4句詞

「時として、ご恩を受けた人数多(あまた)、
   返す心は、未だ終らず、思い起こせば、暮るる年月、
               花は花として、人は人として」
 
 あんな時に受けたご恩、こんな時に受けたご恩、数多あります。
 でも、そのご恩に報いる事は少しも出来ていませんでした。
 誰も、見返りを求めたりはしませんのに・・・・・・。
 ですから、どんな時にも、誰にでも、そのお返しをしたいものであります。
 が、今となっては、為すすべもなく、先立つ事をお許しくださいますように。

 
■5句詞

「仄々(ほのぼの)と、霞たなびく、野っ原に、
       立つは、烽火(のろし)か、線香か、
             我身の弔い、思いもせなんだ」
 
 昔遊んだ事のあるような、懐かしげな野っ原に、一筋の煙が上っています。
 あれは、誰かが烽火を上げているのかな、野焼きでもしているのかな。
 と思ったら、私の弔いの線香の煙でありました。
 あぁもうそんな齢に成ってしまいましたか。と初めて気付きました。
 これにて合掌であります。 

 
■6句詞

「四十(よい)四十(よい)と酔いて過ごした八十年、
  良いが半分、余意(よい)が半分、花も花なり、人も人なり」
 
 若い四十年、齢を重ねた四十年、いつの間にかこんな齢に成ってしまいました。
 考えてみると、良かった事と、良くなかった事とは、半分半分かなぁ。
 人生と云うものは、みなみな、それなりに生きているのでありますなあ。

 
■7句詞

「・・ちゃん・・ちゃんと、ひとつ釜戸で育った仲も、
    世に出て育てば利害は別物、まして怖いは、血縁の道」
 
 お兄ちゃん、お姉ちゃんと中睦まじく、一つ屋根の下で暮らして来たとしても、大人になって世間に出てしまうと、嫁してしまうと、嫁を貰うと、人は変わるものでありますねぇ。
 取り分け、利害が係わると、とんでもない事に成ってしまいます。
 特に、血の争いは、醜いものですねえ。
 他人にとっては、鴨の味かも・・・。
 酒の肴でしょうね。
 あの世に行っても有りますかねえ。
 こんな事があるのでしょうかねえ。
 皆々さまもお気を付けあそばしますように。

 
■8句詞

「天地を開いて、八十年、
 天も知らぬし地も知らぬ、生きるも死ぬるも天任せ、
 進むも戻るも地(つち)任せ、花も花なり、人も人なり」
 
 この世の光を見てから八十年、未だに、天が何であり、地がなんであるかは、解っていませんが、私は私なりに生きてきました。
 行くとし生けるもの、運を天に任せて生きてきました。
 人それぞれに生きる。
 人生はこれで良いのであると思っています。

  
■9句詞

「食ってみよ、旨いじゃろう、食ってみよ、不味いじゃろう、
 生きてる証しじゃ、死んでみろ、
 酸いも甘いも分からぬものじゃ、花は花なり、人も人なり」
 
 食べてみて、美味しいとか、不味いとか色々云ってはみるものの、これは全て生きている証拠であります。
 死んでしまったら、そんな贅沢は云ってはおられませんよ。
 生きているうちが花、存分に生きてみましょうか。
 生きている、生かされていると云う事は、素晴らしい事なのでありますから。

  
■10句詞

「急いで生きても八十年、ゆっくり生きても八十年、
   それでも生きたは、ほんの束の間、
      永いぞ永いぞ黄泉の国、花は花なり、人は人なり」
 
 急いで生きた訳でもないし、ゆっくり生きて来たつもりでもありませんが、あの世の齢読みからすれば、ほんの短い時間であります。
 生きとし生けるもの、花は花なりに、人は人なりに。
 とにかく、懸命に生きていくのが大切であります。

 
■11句詞

「寒梅の咲きたる様な我が人生、
  夏が良き日か、冬が良き日か、花は花なり、人は人なり」
 
 私の人生は、寒さを凌いで咲く、寒梅の様に、生きて来たつもりであります。
 夏の暑さの中では、懸命に咲く凌霄花(のうぜんかずら)の様に生きて来たつもりであります。
 何れにしても、人生と云うものは、その人なりに、懸命に生きれば、それで良いのではないでしょうか。

 
■12句詞

「腹が痛いと思うてみても、頭が痛いと思うてみても、
  所詮この世で起こる事、川の向こうは、救いの郷か・・・
                三途を渡ればそれも福なり」
 
 腹痛も頭痛も難儀なものでありますが、あの世に行けば、それさえ感じなくなるのでありましょうか。
 それも寂しいことでありますねぇ。
 痛い時には痛いと云い、苦しい時には苦しいと云う、こんなことが懐かしく思われるのかもしれませんね。

  
■13句詞

「向こう横丁のお稲荷さんに、
 お仙目当ての一銭上げたら、返って来たのは閻魔の頭、
 地獄の沙汰も金次第、往こか戻ろかこの世の未練」
 
 冥土の土産に、この世の美人を見治めておこうと、向こう横丁のお稲荷さんに出掛けて行って、門前の茶屋でお仙の顔を拝んでいこうと、賽銭を放り投げたら、何と出て来たのは、閻魔大王の頭でした。
 地獄の沙汰も金次第と云うことか。
 こんなことなら、このままこの世に蘇りたいものでありますね。

 
■14句詞

「季節廻れば花は咲く、暦廻れば人は寄る、
   天が花なら、人は地(つち)、花は花なれ、人は人なれ」
 
 花と云うものは、季節が廻ってくれば、自然に咲くものです。
 人と云うものは、暦が廻ってくれば、自然に年を重ねてゆくものであります。
 であれば、みなみな自分なりに、生きてきて良かったと思っています。

  
■15句詞

「嘘つき、へたれと云われても、
 我には、そんな憶え無し、
 一生懸命生きただけ、
 妻が一人に子が三人、かさねて孫が六人と、
 それだけ居れば文句は無かろう」
 
 リタイヤした後は、約束が守れないと嘘つき扱い、何にも出来ないと木偶の坊扱い、へたれと云われ、甲斐性無しと云われ・・・。
 息子よ、嫁よ、我が妻よ、何がそんなに気に入らないのですかねえ。
 これでも、一生懸命働いてきましたよ。
 それなりに家族を守って来たつもりですよ。
 それでは駄目なのですかねえ。
 思えば、哀しき事ですねえ。

  
■16句詞

「家を守って四十年、
 祖母を送って、母送り、父の時には、追い出され、
 兄弟姉妹(きょうだい)喧嘩の種は尽きまじ、
 仲良き事は美しきこと哉、の言葉が滲む」
 
 先行き不安な家業を継いで、四十年頑張ってきました。
 私の幼き頃の母代りであった、祖母を送りました。
 母も送りました。
 最後に父を送るべしでありましたが、喪主は、弟とでありました。
 嫁した姉と妹の差し金と聞きます。
 座右の詞の武者小路実篤詞「仲良き事は、美しきこと哉」が空しく思われてなりません。

 
 ■17句詞

「人の世は、愛が良かれと云いながら、憎悪が行きかう地獄絵図、
 憎しみが、赦しと成るのは、何時の事、
 それに付けても、笑顔の優しき人ぞ何処に」
 
 愛こそが人間の最高の善意であると、人は云いますが、現実は、そうではありません。
 この世にある様々な憎しみや、妬み、嫉みが亡くなるのは、何時の事なのでしょうか。
 見まわしてみても、笑顔の良き人、優しき人は、何処に居るのでしょうか。

 
■18句詞

「おーいと呼んで、はーいと返る、
 これが普通と思っていたが、そうでなくなるこの身が辛い、
 声の無いのがあの世と聞いた、せめて目と目で語り合う」
 
 今日の今日まで、おーい、はーいと当たり前のように、暮らしてきました。
 が、これからは、おーいと呼んでも返事がない。
 はーいと答え様にも呼んでも来ない。
 こんな味気ない事に成ってしまうのでありますね。
 これからは、仏壇の写真の向かって、こころの中で語り合いましょうか。
 その内私も行きますよ。ってね。

  
■19句詞

「時世に勇を著わすは、詞(ことば)であると生きてきた、
 生きて気が付く金力(かねちから)、是非も無い無い是非も無い、
 人は、情けで生きるもの、言葉も金も仮りのもの、
 ほんとの事は、人の生き死に」
 
 「時世に勇を著わすは、詞なり」という三島由紀夫の詞を座右の銘にして生きて来ました。
 が、生きてみて気が付いたのは、昨今の風潮は、唯金論。
 お金の力が一番のようであります。
 これも仕方がない事なのでしょうかねえ。
 よく考えてみると、言葉と云っても、その時の思い、金の力が一番と云っても、金の切れ目が縁の切れ目。
 人の道とは、人情であると思ってみても、つまるところ、真実と云うのは、生まれる事と、死んでゆく事なのでしょうか。
 ならば、懸命に生きる、大いに言葉を使って、大いにお金を使って、と云うことでしょうかねえ。

  
■20句詞

「もう少し、もう少しだよと生きて来た、
  八十年は済んだ事、未来に向かうは、木乃伊に成るまで」
 
 もう少し生きれば、もう少し生きればと、思いながら生きてみたけれど、いつの間にか八十年を過ぎてしまった。
 是と云って満足も無ければ不満もないけれど。
 これから何時まで生きるのか、後はミイラに成るまで生きてみる事にでもしようか

  



  • いかがだったでしょうか・・・続きは、また次回の講釈で。

 

 
  

 
 
平成28年 8月猩々記 

 

 

 

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