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42.辞世の句 第4集(全4回)

 2016年第15号  - 猩猩 梅原 陽介 -


  •  今月はお盆、因んで辞世の句を読んでみたいと思います。
  •  故人は、辞世の句をよく詠んだようであります。取り分け武人、文人、貴人、等などは、好く詠んだようであります。
  •   
  •  小拙も因んで、恥ずかしながら詠んでみたいと思います。
  •  お目汚し、お気持ち汚しかとは思いますが、心あらば、お目通しをお願いするものであります。
     前提は、小拙が八十歳まで生きた、としてであります。
  •  従って、八十句まで詠めれば「黄泉(読み)止め」としたいと思います。
  •  併せて、句と云うよりも詞が多くなりましたので、敢えて、句詞(くことば)と致しました。

  
61句詞

「もういいかい、まだだよお、 
 いつか懐かし童声
 あの世とこの世でかくれんぼ
 せめて彼の人に」
  
孫と、よくしたかくれんぼうの掛け声が忘れられません。
何処か遠くで聞こえるような気がします。
今度は、あの世とこの世でかくれんぼうをすることになりました。

 
■ 62句詞

「人・物・金と縁を切り、独自独歩と断捨離を、
 決めたところで何になる所詮この世は、欲の海、
 良くも悪くも我が道を来た」
  
現役のころの人付き合い、物欲を捨て、金から身を引き、これからは一人で生きていくと心に決めてみたものの、それがどうしたというのでしょうか。
自己満足でないのかもしれません。
現実には、どなたもこなたも金金金、世知辛いことですね。
せめて私は、我が道を行きましょう。

  

■ 63句詞
「風鈴の、音色に感じる終の宿
      わが世の春も遠くなり
        後は、納めの棺の居心地」
 
どこかで風鈴の音が聞こえています。
いよいよ、私に人生もここまで来ました。
この世で残る私の仕事は、人生の納めの箱であります、お棺の中に入ることのみになってしまいました。
出来得る事ならば、寝心地の良いお棺に入りたいものであります。

 
■ 64句詞

「われと来て遊べや親の無い爺、
     そこのけそこのけお棺が通る
       葬式も中くらいかなの悲しさでよし」
  
知人も友人も先に往ってしまいました。
遊ぼうにも周りにはだれ一人居なくなってしまいました。
とうとう私にも棺桶が送られてきたようであります。
いよいよ葬儀になりましたが、皆さん哀しむのは中くらいでいいですよ。
ここまだ生かされれば、もう十分でありますよ。

 
■ 65句詞

「大乗小乗云ってはみても、やがて我が身のいく処、
 在りや無きやも分からんが、とにかく信じて徳を積む」
 
宗派はいろいろあるとは思いますが、仏教に帰依していれば、それでいいじゃありませんか。
天国があるとか、地獄へは行かさないでおくれだとか云う前に、とにかく息のあるうちに人徳を積みましょうや。

 
■ 66句詞

「ザクザクと苦労知らずで生きてきて
       死ぬ身になりて些か反省
         妻にも子にも我が身にも」
 
何も考えずに、人生を大まかに生きてきましたが、この期に及んでみると、些か反省するところもある訳で、妻にも、子にも、我身にもであります。
よく添い遂げてくれました。
よく仕えてくれました。
よく支えてくれました
今際の際ではありますが、ありがとうを言わせてもらいますよ。

 
■ 67句詞

「知りたものは、万分の一、
 知り得なかったものは、あと残り
 こんな人生にも終焉がある
 こんな人生にも感動と喜びがある
 これでいい、これでいい」
 
幾多の年月をかけて知り得た事と云えば、ほんの一部であります。
後の前部は、知り得なかった事ばかりでありました。
こんな小さな我人生でありましたが、その時々の感動も喜びもありました。
私はこれで良いのであると思っています。

 
■ 68句詞

「栄華の夢も露ほどに、今に思えばさもあらん
 何を狂うたか迷うたか、己の正義は、虫の糞ほど」
 
その時々の、成功や大勝利も、今にして思えば、仮初のものでありました。
若さゆえか、不徳の故か、はたまた邪心のせいかは、分かりませんが・・・。
今にして思えば、己の正義などは、取るに足らないものでありました。
事ここに至りては、許しを請うばかりであります。

 
■ 69句詞

「この世でいくら稼いでも
    あの世の要るのは六文銭
         残る宝で、人は争う」
 
あちらで儲け、こちらで儲けたとしても、それは栓無い事ではありはしないのでしょうか。
あの世に行く私の船賃は、六文あればよいと聞く。
その上に、残した儲けで骨肉の争いがあると云うではありませんか。
これは、儲けられなかった者の僻みでしょうかねえ。

 
■ 70句詞

「騙語百選、詭弁百選、愛語一語に勝るものなし」
 
騙し言葉を数多知っていたとしても、
ごまかし言葉を、巧みに操る事が出来たとしても、
愛ある言葉一語に、勝るものはないのであります。
生まれてきてくれてありがとう。
育ててくれてありがとう。
皆さんありがとう。

 
■ 71句詞

「たおやかに生きたと思う人生も、人から見れば棘ばかり
 せめてこの世の別れには、ありがとうの一言を」
 
自分なりには、たおやかな人生を送ってきたと思っていましたが、人から見ると随分棘のある悪態をついて生きて来たようであります。
知らなかった事とは云いながら、済まぬ事をしてしまったと反省しきりであります。
せめて今生の別れには、ありがとうの一言をもうしあげたいものであります。

 
■ 72句詞

「乾坤一擲の人生も、死してこそ、それが語れる」
 
天下を掛けるような大仕事や大勝負をかけて来た人生でありました。
と云っても所詮独りよがりなことであります。
死して、市井で語られてこそ意味ある人生であります。

 
■ 73句詞

「南船北馬の人生も、事が切れたら、一貫終了
 せめてこの世の夢芝居、旅立つ笑顔をお許しくだされ」
 
南に向かっては、船で行き、北に向かっては、馬で走り、の言葉にあるように、日々仕事仕事に明け暮れた人生でありましたが、事ここに至りては、それに何の意味があったのでしょうか。
それであるならば、せめて、夢の続きとして、笑顔での旅立ちをお許しください。

 
■ 74句詞

「露ほどの人の気持ちは分からぬものよ
 己(おの)を信じて生きるが上々
 己の不信は、時節到来」
 
人の言葉地云うものは、悪意であろうと善意であろうと、本心は分からないものであります。
自らの思うままに生きてみる、これが真っ当であると思います。
只、信じられないのは、旅立ちの時が自分にも来てしまったと云うことであります。

 
■ 75句詞

「己身から心魂が抜ける、さあ永遠の旅立ちが来た
 我舞台に登場のみなさん、ありがとうさようなら」
 
すーっと、気が遠くなってきました。
ああ、これが魂の抜けると云う事なのか。
さあ、いよいよ我が身の旅立ちの時であります。
我人生の、数々の舞台にご登場いただきました共演の皆さん、本当にありがとうございました。
心より感謝を申し上げ、永久の別れと致します。

 
■ 76句詞

「なあおまえ、わしじゃわしじゃ、と自分を指して
               物云うわしの足は半分」
 
我身から離れていく魂が、我身に声をかけてくる。
「なあおまえ」「わしじゃわしじゃ」自分が自分に声をかけている。
そんな時に、足元から影が薄らいでいく。
どうやら、これが、死ぬと云うことのようであります。

 
■ 77句詞

「泣きと笑いが五分と五分
 怒りと苦言が五分と五分
 哀しみと楽しみが五分と五分
 これで人生喜怒哀楽
 すべてを回って一巻の終わり」
 
我人生を考えてみると、泣き、笑い、怒り、悲しみもあったし、喜びや楽しみもあった。
人生というものは、誰も、喜怒哀楽を越えて一巻上がっていくものだと云う。
これが、人生双六と云うものなのでありましょう。

 
■ 78句詞

「幾山河、人在り、物あり、情けあり
 ここに至りてありがたき
 握る手と手に懐かしさあり」
 
思い起こせば、人の思い出、物の思い出、情の思い出、いろいろありました。
本当にありがたいことでありました。
今ここで、握ってくれる手に、それを感じるほどの懐かしさがあります。

 
■ 79句詞

「乾坤一擲生きてきて、
   今、行雲流水の域にある
     おのが姿に、暫し安堵す」
 
自分なりの、大勝負、天下分け目の大仕事で修羅場をくぐってきました。
が、今は、年を重ね、空を行く雲や、流れ行く水のように、何事にもとらわれない平静な心や態度が持てるようになりました。
そんな自分に、自身が安心している、今日この頃であります。

 
■ 80句詞

「一睡の夢を見て八十年、
  一欲の現を追って、幾山河、
   辿り来て思うは、人の情け」
 
今日まで、数々の夢を追って生きてきました。
勉学の欲、名誉の欲、物の欲、金の欲、などなど数多の欲を求めて、成功もしました、失敗もしました。
人に喜んでもらいもしました、また知らぬ間の、悲しみも受けて頂いたことでしょう。
物欲を捨て、金欲を捨て、仁欲を捨てた今、我思うに、人の情けの有り難さであります。
正に、世にまされる宝とは、人の情でありましよう。

 

  • さあ、ここまで句詞を八十句詞、詠んでまいりました。
  • 気が付いた事が幾つかあります。

 

  • 一つには、反省の言葉であります。

 

  • 二つには、間際に気が付いたことであります。

 

  • 三つには、遺族に残したい言葉であります。

 

  • 四つには、人間賛歌であります。

 

  • 五つには、総じて神さまの懺悔であります。

 

  • そして、
    六つには、「あ・り・が・と・う」の感謝の言葉でありました。

 

  •  みなさん、四つに一つは、分かるが、五つ目がよく分からん、と云う事です。
  •  お答えします。
  •  自分勝手流でありますが、人皆、天に昇れば神様です。
  •  ですから、何時も懺悔を聴く側の神様が、この世の人々に聞いてもらっていると云うのであります。聴いてもらいながら、天道人道を示唆しているのであります。
  •  辞世の句詞の大方は、懺悔の念や後悔や感謝を語るものであります。
  •  人生とは、生きると云う事とは、生きる事自体が修行であり、生きる事自体が喜びであり悲しみであり、意味のある事であります。
  •  激なる人生を歩んだ人たちにとっては、辞世の句こそが、人生の引導になったのでしょうか。

 
■ 八十句詞番外 (聖者万民救済、悟者自己研鑚、為人間何為)

「聖キリストは、万民を救い
 釈迦牟尼は、自己を救う、
 されば、人は、地球を救うべし
 我、久遠の旅立ちを以って知る」
 
キリストさまは、人は、みな平等と教導し、万民の罪を背負ってくれます。
仏陀は、自らが解脱し、万民を救う道を解きます。
全ての罪を背負ってもらって、人の道を教えてもらったら、私たち人類は、自らが住まいする地球を、なにがなんでも救い、守っていく。
それは、人生の大いなる目標ではありませんか。

 

  •  小拙が八十一句詞目に気付いた句詞は、この句詞でありました。
  •  このようにして、思うがままに句詞を書き連ねてきましたが、どうなんでしょう。
  •  実際にこの時が来て見れば、こう淡々と句詞が、出てくるものなのでしょうか。

 

  •  筆者は思うのです。

 

  •  きっとあたふたとして、こんな句詞などは詠む事など出来ないのでしょうね。
  •  私の場合は、何てったって臆病者なんですから。
  •  痛いの痒いのこそばいのと、皆を困らせるのでしょうね。

 

  • もし誰も居なかったとしたら、1句詞くらいは、詠めるかもしれませんが……。

 

  

 
 
平成28年 8月猩々記 

 

 

 

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