京都弁護士会所属 田中彰寿法律事務所 京都の中堅・中小企業のための法律事務所

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弁護士 佐藤 絢

さとう あや  Aya Sato

  • 弁護士 佐藤 絢

  • 京都弁護士会所属

  • 所属委員会:
    • 民暴委員会
    • 法教育委員会



  •  私は、東京都の下町で生まれ、福島県で育ち、大学・法科大学院は東京都 下で過ごすなど、全体を通して静かな町で暮らしてまいりました。
  •  修習時代 に初めて京都に住み始めたのですが、京都は静かな中に上品さも加わってと ても魅力に感じ、もっと長く住みたいと思い、京都の当事務所に就職させて いただきました。
  •  高校生の時は、地元福島で東日本大震災を経験しました。私自身は幸運に も家族も家も無事でしたが、周りには津波で家や家族を失った人、原発事 故で故郷を去らなくてはならない人がいました。そのような人を前に、私はかける言葉もしてあげられることもなく、歯がゆい思いをしました。その時の悔しさを忘れることなく、できることを増やしていき、一人でも多くの依頼者の助けになるよう日々研鑽を積んでいく所存です。
  •  誰かのやり場のない思いに耳を傾け、 希望を見出すお手伝いをしたいと思っております。
  •  不束者ではございますが、何卒、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。



所長からひとこと

所長から一言

  • 依頼者の矢面に立つのが弁護士。その覚悟を大切にしてください。

弁護士 田中継貴 代表社員所長就任のお知らせ


 2021年4月1日をもちまして、弁護士 田中彰寿が「弁護士法人 田中彰寿法律事務所」の代表社員所長を退任し、弁護士 田中継貴が代表社員所長に就任することをお知らせさせていただきます。

代表社員所長就任のご挨拶

 私、田中継貴は、今般 弁護士法人田中彰寿法律事務所 代表社員所長に就任することになりました。父が創業し40数年にもわたり運営してまいりました事務所を継承いたしますのはまことに身の引き締まる思いです。
さて、私は、平成21年に京都弁護士会に弁護士登録すると同時に、当法律事務所に入所し、主たる業務である企業に関連する事件を中心に、様々な事件を担当してまいりました。中には、会社の支配権を巡る事件であったり、巨額の請求を受ける事件などもあります。
 また、私が司法試験において労働法を選択したこともあり、労働法の分野に属する事件も多く担当し、企業の立場での残業代、解雇、労災、労働組合との団体交渉など、企業の防衛に力を尽くしてまいりました。
 公的活動としては、平成29年度日本弁護士連合会民事介入暴力対策委員会幹事、平成31年度京都弁護士会民暴・非弁取締委員会委員長に就任し、京都府下における暴力団対策や第87回民事介入暴力対策京都大会開催、第61回日弁連人権擁護大会開催などの活動に携わってまいりました。そして、令和2年度京都弁護士会副会長に就任し、京都弁護士会として、政府や国会などへ法律や司法の在り方に関する意見書を発出、京都府下の弁護士の支援、あるいは、市民に対する法律相談などの事業に参画してまいりました。

 父の田中彰寿が創業した当法律事務所は、爾来、企業、経営者の皆様を始めとして、多くのお客様に対して、法律の専門家たる弁護士としての業務を提供してまいりました。
 プロフェッショナルは、依頼者のために自分の能力の限りを尽くさなければならない、という考え方があります。もともと医療倫理の格言ですが、私は正に弁護士にも当てはまることであり、肝に銘じていかなければならないものであると考えています。そして、今後も当法律事務所は、引き続きプロフェッショナルとして正しい姿勢を持ち続け、業種や官民を問わず、多くの皆様に業務を提供し続けると同時に愛されていきたいと思っています。

 私は、当法律事務所が今後もプロフェッショナルとして存在し続けなければならないという覚悟を持って、皆様からのご信頼に応えるべく不断の努力を行うことをお誓いし、弁護士法人田中彰寿法律事務所の所長に就任いたします。
 今後とも、皆様からのご指導、ご鞭撻を賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。 
 

弁護士法人 田中彰寿法律事務所 田中 継貴 拝

 

退任のご挨拶

 私こと田中彰寿、今般 弁護士法人田中彰寿法律事務所 代表社員所長を退任し、弁護士田中継貴に引き継ぐことにいたしました。

 思えば1972年秋司法試験に合格後、2年の司法修習生を経て1975年4月弁護士登録をし、1979年独立、2004年9月弁護士法人設立、あわせて草津事務所開設と足掛け46年間の弁護士生活を経て来ました。長男である継貴弁護士もすでに弁護士生活11年になり、過日京都弁護士会の副会長も無事任務を全うしましたので、これを機に当法律事務所の所長を交代いたすことにしました。
 25歳で弁護士に登録後、右も左もわからないまま当時の土地ブーム終焉後の不況と倒産事件の続発、さらにプラザ合意後の土地バブルとその崩壊、その後の日本の奈落の底へ落ちるような経済状態のままリーマンショックを迎え、一体日本はどこへ行くのだろうかと思いながら懸命に弁護士生活を駆けてきた毎日でした。
 そうした中でも、京都弁護士会会長、その後役職にはもう就かないだろうと思っていた後の近畿弁護士連合会理事長の就任など、それなりに思い出深い弁護士生活を送ることができました。
 また、たまたま京都産業大学の司法試験受験のお手伝いをしたことがきっかけで、私の周りに多くの司法試験受験生があつまり、彼等が法曹への道に巣立っていってくれたことは、私にとってとても大きな励ましとなりました。

 弁護士生活の傍ら中国との友好活動に取り組み、中華人民共和国大阪総領事館のご厚意で会員とともに何度も中国を訪問し、かの国の高度成長を目の当たりにすることができましたことも大きな思い出であります。
 とてもこういう表現がふさわしくないのは理解しておりますが、いままで46年あまりの弁護士生活を大過なく過ごすことができましたのは、皆さまのご支援のおかげと感謝致しております。
 もっとも、所長を交代しましても弁護士としては従前と変わらず事務所に詰め、皆様のお役に立つつもりでおりますのでご遠慮なくご連絡ください。

 今後も、新所長や当事務所への皆様のご支援を賜りますようお願いいたしますとともに長年のご支援に心から感謝いたします。

 ありがとうございました。

弁護士法人 田中彰寿法律事務所 田中 彰寿